Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

シンガポールという国に住んでみて 多様性と寛容さ

Noteでこんな記事を見つけました。

 

『小学6年生が受け止める”多様性”の意味』

 

子ども世代(小中高生)で、SDGsについても非常に詳しい子も現れていて、実際に行動を起こしている子たちがいることを紹介している記事もあり、興味を感じて読んでみました。

 

今の小学生は、大人たちよりはるか前を進んでいる。

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私は2000年から6年弱シンガポールに住んでいました。そのときにはじめて多様性を肌で感じることができました。でも、そのときはまだ多様性という言葉をしりませんでしたけど。

 

シンガポールは赤道にあと100kmほどの東南アジアの小国で、中華系、マレー系、インド系、一時滞在や永住権をもつ外国人からなる多民族国家です。各民族の言語が公用語となっていて、共通語は英語。

 

私が勤めていたオフィスもこれと同じ構成で、色々な言語が飛び交う職場でした。そして、トランスジェンダーの人も普通に働く職場でした。そういう人もごく普通にふるまっていることがとても印象的で記憶に残っています。仕事柄、社外の取引先の人々と会う機会が多かったのですが、6年間で3~4人のトランスジェンダーの人とお会いして、お話しさせていただいた記憶があります。その時の印象は、「こういう人たちも普通に働いてるんだ」程度のものだったので、正確な記憶としては残っていません。

 

シンガポールに住み、働いたことでの印象は、

 

・言語に対して壁がない、そして、寛容。

・民族差別がなく各民族が得意の分野で活躍している(そのように見える)。

・宗教に対しても寛容。各民族で信仰する宗教が異なりますが、それぞれの宗教の行事が祝日になっている。

 

印象は人によって異なりますでしょうし、人によっては、これはって?と思うところもあるかもしれません。人それぞれで視点も異なれば、思想も異なります。

 

忘れてはいけないのは、私が小学生だった時にも、今と同じだけ当事者はいたということ。ただそのことについて私が、そして多くの子どもや大人が知らなかっただけなのだ。そして差別や偏見はいまだに根強く、もしかしたら完全になくなる日は来ないのかもしれない。

 

 私がシンガポールに移り住み学んだことのひとつは、異なるものをあるがままに受け入れる寛容さだったと思います。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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