モノづくりをしようとすると、どこかに”こだわり”が必要となる。他の商品と差別化したり、そして、何よりその商品のストーリーを伝えることができるから。
モノづくりをしていた時、こだわりのひとつに品質があった。品質の根幹は、安全・安心、そして、こわれていないこと、こわれないこと、いわゆる不良品というものだ。
この他にも外観性というのがある。聞きなれない言葉かもしれないが、ウエルド、コンタミネーション、フローマークなど。これらはプラスチック製品を作る時(射出成形)に発生する不良品。外観不良ということで、廃棄またはリペレット化される。
この外観不具合というのが厄介だ。不良の原因があること、また、商品価値を損なうということで、不良品と判断され世の中にでることはない。これが日本の常識。
一方で、海外同業他社の製品を見ると、自分たちが不良としているものが商品として売られていることが多々あった。はっきりとした理由は定かではないが、商品価値を棄損しないとの合理的判断なのだろうか。
Forbesの記事に、そうした外観不具合品のB級品マーケットができないだろうかとの提言がある。理由はもちろん環境への配慮だ。
「いき過ぎたこだわりが廃棄を生む」
と記事では指摘する。
海外では、ロレアルやグーグルなどがリサイクルプラスチックを採用する。一般にリサイクルプラスチックは、バージン素材に比べると、外観不具合が生じやすいという難点がある。技術的な進歩があるかもしれないが、環境に配慮する方向へ行動を起こしている。
地球の温暖化が急速に進み、環境問題への意識が高まっている。悩ましいことなのかもしれないけど、「環境への配慮」と「商品の外観」、どちらを選びますかと問われているような気がする。今まであたりまえであったことに囚われずに、もう少し環境に目を向けると、今までは違う世界が見えてくるのかもしれない。