Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

環境立国日本⁇ 日本人の環境意識は⁈

 

 なぜか、「環境立国」「環境技術先進国」という言葉があったことを思い出した。かなり前のことで記憶が曖昧なので調べ直してみた。

 第一次安倍内閣が策定したもので、内容は以下のように、なかなかのものでした。

 環境対策を国の重要施策の旗印の一つに据え、環境ビジネスを進めるとともに国際貢献も積極的にしようということだろう。しかしながら、「21世紀環境立国戦略」なるものを、第一次安倍内閣が策定していたのをご記憶の人は今どの位いるだろうか。(中略)

今見直してみても「戦略」にはそれなりの認識が表明されている。すなわち、「人間活動から生ずる環境負荷が地球規模にまで拡大した結果、環境の容量を超え、地球生態系の微妙な均衡が崩れつつあると言えます。さらに途上国での人口増と経済成長を背景に、環境への負荷が一層増大していくおそれがあります」と述べ、地球には地球温暖化の危機、資源浪費による危機、生態系の危機という3つの危機があり、これは「人間の安全保障の問題とも密接に関連した人類が直面する最大の試練である」と言明している。そして、このような危機に対して日本は低炭素社会、循環社会、自然共生社会を今後形成し、地球生態系と共生して持続的に成長・発展する持続可能な社会を実現すると表明している。その上で、すぐにでも重点的に着手すべき8つの戦略を掲げているが、その第1は「気候変動問題の克服に向けた国際的リーダーシップ」となっている。(出所:認定NPO法人環境文明21)

 

環境立国はどこに行った⁉

 さらにこの記事は次のように指摘する。EUなど世界の動きとは真逆のように感じる。

「環境立国」戦略は、その第一項の国際的リーダーシップのところからして、既にコケていると言ってもよいだろう。なぜなら、国内でこそ、温暖化対策は世界のトップクラスという神話がまだ通用しているようだが、国際世論では、この神話は通用せず、裸にされて厳しく審査されていることを理解すべきだ。日本がリーダーシップを本気で取るつもりなら、なぜ日本の評価が低いのか、その理由がどこにあるかを含め、不都合な真実にも向き合い、対策本道に戻るしかない。

この問題は、国際社会における単なる「評判」には留まらない。日本が自ら抱いた「環境大国・環境技術先進国」という虚像故に日本企業に規制や経済的手法を用いて温暖化対策のレベルアップを強く求めることをやめてしまったため、企業が本来持っている技術開発のポテンシャルを活かしきれていない。自動車業界のように国際市場で大きなビジネスをしている企業は、例えばカリフォルニア規制やEU規制の厳しさを痛感しているので、国内規制の有無に関わりなく、燃料電池車、電気自動車など環境技術開発に真剣に取り組んでいる。しかし総じて、日本の中では厳しい規制が求められないので、技術の進歩や新しいビジネスの芽は、むしろ摘まれてしまう。(出所:認定NPO法人環境文明21) 

www.kanbun.org

 

 COP24 「日本は石炭火力のチャンピオンだ」

 昨年のCOP24の様子を伝える日経記事。どこまで、現場の真の雰囲気を伝えているのか。

日本も厳しい批判を浴びている。「日本は石炭火力のチャンピオンだ」。COP24の会場で5日、計26の国際NGOが共同で国内外の石炭火力に融資する日本の金融機関を名指ししながらこう批判した。

日本は東京電力福島第1原発事故で原発再稼働が進まない現状から、安価な石炭火力をベース電源と位置付けて普及を進める。海外からの批判を受けて日本生命など金融機関の一部が石炭火力への新規融資の制限や凍結などの動きが出ているものの、三菱重工などは輸出も促進している。(出所:日経新聞

www.nikkei.com

 COP24の現場では

 COPの会場では、毎年のように抗議活動として化石賞の発表があるという。COP24ではその不名誉は免れたようですが、かつて日本はこの化石賞の常連だったとか。

 COP24の現場に立ち会われた竹内さんの記事を読むと、環境についての国際会議におけるコンセンサス形成の難しさを感じ取れます。

交渉でもめているポイントが余りにマニアックだったり、従前の議論と変わり映えしなかったりで、デスク通らずこういう記事になるのかもしれませんが、もう少し深掘りしてほしかった!。
そもそもこういう抗議活動はCOPの交渉とは関係なく、その周辺で行われているもの。COP会場の廊下で行われている化石賞(温暖化対策あるいはCOPの交渉に後ろ向きな姿勢を示した国を、環境NGOが批判するイベント)もこんな感じです。(出所:竹内純子)

comemo.nikkei.com

 

 こうしてまとめてみると、環境問題の解決がいかに難しいものかを感じてしまいます。国、企業によってその利害が異なることに原因があるのでしょうか。一方で、欧米では確実に環境保護への意識が高まっていると感じます。欧州委員会のリードで世論が高まっているのか、はたまた、世論の高まりがあって欧州委員会が動くのか、それはわかりませんが、EU各国では、市民レベル、企業、国が環境問題に取り組んでいるように見える。環境保護に否定的なトランプ大統領の米国でさえ、市民、企業、地方自治体で積極的に環境活動を行っている。

 私たちの国日本はどうなのかと考えてしまいます。ミレニアル世代を中心にして積極的に情報発信があるように思いますが、どのレベルでもまだムーブメントというような動きが見えません。

 さきに示したように、従来日本は電化製品や自動車の省エネ性能を追求してきました。それによって、電力消費量が減り結果的に化石燃料の消費が減るという論理だったのかもしれません。しかし、世界の潮流は全く異なるところにあって、もっと高貴に、理想的に、全員参加型のようにアプローチしているように見えます。国やマスコミが重要であることはいささかも否定できないのですが、個々人の意識の変化を幅広く興すことができるのか問われているような気がします。政府、企業も人が動かしているのですから。

 

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