Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

#徒然なるままに不定期な日記 「ごみとの悪戦苦闘記」

 

 父の膨大な遺品整理にひとまず目処が立った。そのほとんどが使えないもので、ごみとして処分せざるを得なかった。あまりにも量が多く、ここまでで2トントラック3台分となった。お恥ずかしい話だが、産廃として処分するしかなかった。

 

 父は、「もったいない、もったいない」とよく言っていたそうだ。そうしては、モノを捨てずにため込んでいたようだ。例えば、剪定鋏だけで50本くらいが遺品として残っていた。それだけではない、ノコギリ、電動工具等々。この他にも、どこからかごみと思われる物を拾ってきては、家や家庭菜園の作業小屋に溜めて、何かに使っていたようだ。

 

 父の遺品整理を託されたとき、 ただただ困惑した。「どうやって処理していこうか」と。借りていた家庭菜園も、地主から早くさら地にして返却して欲しいと言われ、作業小屋2棟の撤去も加わった。

 

 ごみとして処分すれば、お金もかかるし、環境にもよくなさそうで、後ろめたい気持ちにもなる。まずは、父の知り合いの人たちに声をかけ、引き取れるものがあれば差しあげることにした。それでも、たくさん残る道具たち。

 少し手を加えて、フリマ「メルカリ」に出品して、引き取り手を探してみることにした。これが意外にも早く引き取り手が見つかってうれしかったけど、出品に追われるようにもなった。ここまでに約200品も出品した。でも、まだ出品できていないものが手元に多数ある。

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 道具関係の整理にめどが立ったので、作業小屋の取り壊しを始めた。家庭菜園が道路から200m弱離れたところにあり、重機を入れられないのですべて手作業で取り壊した。30年近く使っていた小屋らしい。壊してみると、使っていた資材の痛みが激しく、とても再利用できそうにないものばかりだった。

 

 苦渋の決断。「産廃として処分するしかないな」と。

 

 父のことを思うと、産廃として処分することに、少しばかり気も引けた。せっかく集めて、父本人としては再利用を促進していたのだから。資材たちも役割が終わったのだからと、自分を慰めはしてみるものの、産廃にはやっぱり抵抗感があった。

 

 父はごみみたいなものを拾ってきていたが、不思議に食事に関しては捨てることが平気であったようだ。家庭菜園をやっていたので、いつでも新鮮な野菜が食べられるからかもしれない。そのおかげか、今、家では大量の生ごみ他が発生している。

 

 

小屋2棟の撤去がようやく終わった。まだ残る遺品整理は続く。これからは、ごみの量を減らすことにも挑戦していく。

 

 

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