Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

ゼロ・ウェイスト 父の月命日に思うこと

 

 2003年、徳島 上勝町が「ゼロ・ウェイスト宣言」した。今年2020年までに「ごみゼロ」を目標に活動を続けてきた。まだ目標には達していないが、80%を資源化できたという。

 上勝町にある「ゼロ・ウェイストアカデミー」の理事長坂野晶氏が語る「上勝町の今を」ブルームバーグが動画で紹介する。

 

www.bloomberg.co.jp

 

 昨年、坂野氏は世界経済フォーラムで共同議長を務めた。

 このとき、アップされた上勝町を紹介する動画はもうFacebookでは500万回以上されている。

 


This Japanese town produces almost zero waste

 

坂野氏は、世界経済フォーラムにもこんな寄稿をしている。

コミュニティの努力によって80%以上の廃棄物を資源化できることを証明しました。しかし同時に、残りの約20%については、生産段階における製品設計や素材の革新、あるいはそれをサポートするような政策実現による「体系的な仕組みの変革( Systemic Change )」が起こらなければ達成できないということも明確になったのです。

このようなシステミックな変革を日本で起こすには、私たちはマルチステークホルダーによるパートナーシップ構築が鍵となると強く信じています。そのためには、地域コミュニティや、NGO/NPO、事業者および政策立案者がそれぞれのステークホルダーの立場でお互いに何ができるのかを理解し、それぞれが他者から学ぶための一歩を踏み出し、サーキュラーエコノミーなどの社会的・経済的モデルを作るためのインフラを確立する必要があります。 (出所:世界経済フォーラム Webページ)

 

jp.weforum.org

 

 

 

 昨年、父が脳梗塞で倒れ、実家に戻ることになった。実家に戻ってからほどなくして父は他界した。残された遺品処理の多さに愕然とした。

父は30年以上趣味で家庭菜園を続けていた。遺品のほとんどは畑で使用していた農具や工具などだった。使えそうなモノは少しだけ手入れをして、できるだけ2次利用してもらうことにした。農具は父の家庭菜園の仲間にお譲りし、それ以外はメルカリに出品して次の使い手さんを探した。それでも、農業用のマルチシートや廃材、さび付いて動かない器具など膨大な量を産廃として処分せざるを得なかった。2トントラック3杯分になるごみを産廃として処分した。費用もばかにならない。少しばかり父を怨んだりもした。

 

  

 

 

 父は長くパーキンソン病を患っていた。何とか歩けるが、かなり不自由な身であった。車いすに頼ることなく、自転車で畑にいっては土いじりを楽しんでいたようだ。畑仲間の人から、泥にまみれた農業用マルチシートでさえ、「まだ使えるから、捨てなるな」と父がよく話していたと聞いた。

たくさんあった農具や工具も、思うようにならない体では、少し切れ味が悪くなると扱えなくなってのことかと想像したりもした。しかし、そうしたものたちも使い手がいなくなれば、ただごみになってしまう。

新たな使い手を探し、2次利用してもらう、何かそれが父から託されたものかと思ったりもしていた。

そんなことが、ゼロ・ウェイストやサーキュラー・エコノミーを学ぶことの原点だったように思う。

  

 

 上勝町に、「ゼロ(0)・ウェイストアクションホテル『HOTEL WHY』」がオープンする。2月29日(土)から予約が始まる。

 

prtimes.jp

 

 今までは、エネルギー関連の仕事を通して、SDGsやサスティナビリティ、持続可能な社会のことを考えていたが、父の遺品整理は転機だったのかもしれない。

 今まであまり考えてこなかった生活面でのサステナビリティを考えるきっかけになったし、色いろなことに気づきがあった。それはそれで父に感謝しなければならない。

 

 あと1か月もすると、父の1周忌を迎える。残された軽度の認知症の母もそれを過ぎれば、少しは落ち着いてくれるかもしれない。

 家から出るごみも、1年前に比べれば1/3くらいまで減ってきた。

もう少し活動の幅を広げたいなとも考えたりする父の月命日である。

 

 

「関連文書」

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