米の哲学者エマーソンは、「あらゆる超過は不足の原因となる」と指摘した。二元性の原理と言われるもので、この原理が、人聞を含めて宇宙の隅々まではたらくという。物理学で学んだエネルギー保存の法則のようなものかと解釈している。
今この時代をエマーソンの思想に従って考えれば、「超過、飽和」した世界から「不足、欠乏」へ向かい出したということなのかもしれない。
エマーソンはこの相反する2つのことには平衡力が働くともいう。そう考えれば、不足、欠乏が新たな超過、飽和を生み出していくことにもなる。ものごとには連続性があるということであろうか。
米FRB連邦準備理事会がFOMC議事要旨を発表した。FRBの見通しはかなり悲観的というのが大方の見方のようだ。
「ウイルスパンデミックがかなりの不確実性を生み、中期的な経済活動の著しいリスクになると、かなり悲観的な見通しを示した。一部のビジネスはもはや存在能力がない可能性も指摘した」とロイターが伝える。
ここまで悲観的にみれば、その次には、ものごとはポジティブな方向に正転し始めるということではないか、ここはエマーソンの理論に従い考えたいと思ってしまう。
ビフォーコロナで、あれだけ話題になった食品ロスの問題も、すべてということはないまでも、今ではごく当たり前に、食品ロスを少なくしていこうとの動きがあちこちに出現するようになった。
農水省からも、 「新型コロナウイルス感染症の影響で発生する未利用食品の活用促進について~新たな販路の確保やフードバンクへの寄附の推進~」というプレスリリースが発行され、未利用食品の販売を促進するビジネスの情報を発信している。
衣料品の大量廃棄問題で揺れ、需要が激減したアパレル業界に、「医療用ガウン4500万枚が日本のアパレル業界に恵みの雨をもたらした」とWWD Japanは指摘する。
これを政府の緊急経済対策とだけにしてしまってよいのだろうか。ポストコロナで、また、大量廃棄を繰り返すようになれば、元の木阿弥、消費者からそっぽを向かれかねない。何かのきっかけにはなりはしないだろうか。
ミズノのマスクが再販売されるようだ。ミズノは、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、出社が必要な社員のため、水着素材のマスクを製作して配ったそうだ。
社内でも着用感が好評だったことから、形状の修正や生地の調達、生産工場の調整を経て商品化に至ったとWWD Japanは伝える。
「購買層は男性の比率が高く、今まで当社のオンラインショップで購入歴のない方も多く購入してくれた」 (出所:WWD Japan)
「棚から牡丹餅」とでもいうことであろうか。ちょっとした善意が、思わぬ幸運に変わったのだろうか。
3日前に、「AIなどの先端テクノロジーが、この先も何もかも問題をすべて解決してくれると思っていた」と書いた。
昨日の落合陽一さんのnote「テクノロジーで全ての問題が解決するなんて考えたことがない.しかしながらテクノロジーを使わないで問題を解決しようなんて考えない日がない. #xdiversity / #日々短文雑記」が目にとまった。
偶然であろうが、反論されたような気分になった。
テクノロジーで全ての問題が解決するなんて考えたことがない.しかしながらテクノロジーを使わないで問題を解決しようなんて考えない日がない.なるべくならローテクで,知恵の方をできるだけたくさん使って.
xDiversityで何が重要かって言ったらバイブスだ,って話をいつもシンポジウムの時にいっている.自分たちが作るのはテクノロジーではなくてムーブメントだとも言っている.ただそこには何らかの技術開発に伴う生態系とレガシーがあるべきだ. (出所:落合陽一さんのnote)
「今年に入ってから,どうやってレガシーを考えるか,を探している.ムーブメントとバイブスを意識しながら,技術と人の生態系が作る先を考えていきたい」と落合陽一さんはいう。
少しばかり心が落ちついた。
次週25日に、首都圏や北海道の緊急事態宣言は解除されるのだろうか。
第2波のリスクが指摘はされるけど、そうしたことも包含して、色いろな浮き沈みを繰り返しながら、今まであった世界の何かを引き継ぎ、ウィズコロナの世界に変化していく。その世界でも、変わる世間の需要を満たし、次なる飽和が進んでいく。少しばかり痛みや犠牲を伴いながら変化は続く。SDGsが目指す世界に一歩近づくことを信じたい。