山本寛斎さんが亡くなられた。享年76歳、急性骨髄性白血病だったという。
お悔やみ申し上げます。
10年以上前に、寛斎さんの著作を読んで、寛斎さんに対する見方が変わった。
昨日、ニュースを見て、その本を取り出しページをめくってみた。
娘の山本未來は自身のインスタグラムで
「私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした。
また人生を通して『時に折れることがあろうと、常に前向きに、果敢に挑戦し続けることが明るい未来に繋がる』ということを教えてくれました」と心境を綴った。 (出所:Fashionsnap)
アバンギャルドなファッションで世界を席巻したと寛斎さんの足跡を多くの報道機関が伝える。
山本氏は1944年生まれ。和洋折衷のアバンギャルドなデザインで、世界的に知られるファッションデザイナーだ。
71年にロンドンで日本人として初めてファッションショーを開催して以降、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の衣装を手掛け、エルトン・ジョン(Elton John)、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)ら著名アーティストとの交流を深める。
その後はパリやニューヨーク、東京でファッションショーを開いてきた。93年以降は、ファッションデザイナーの枠を超えてライブイベントのプロデューサーとして活動した。 (出所:WWD JAPAN)
本を読むまでの寛斎さんのイメージは、こんな感じだったかもしれない。
「派手な奴」、あまりよい印象がなかった。
寛斎さんは、本の中で当時のことを振り返っている。
「世界で通用するデザイナーになる」と決心したのである。
「その夢は急速に実現した。26歳の時である。ロンドンで開催したショー「カンサイ・イン・ロンドン」が大成功をおさめたのだ」と、寛斎さんは振り返える。
そのときに、エルトン・ジョンやデビィッド・ボウイから次々と声が掛かったという。
「私は瞬く間に「時の人」となり、「ファッション界の革命児」ともてはやされた」。
「望めばなんだって手に入る」
「夢はどんどんエスカレートしていった。私は人生を甘く見ていた」
その4年後、世界トップのブランドの仲間入りしようと、さらに大きな野心を抱いてパリでショーを開催したという。
総スカン、ショーは惨敗だったという。
これが大きな挫折になった。
パリで莫大な費用を使い果たした、借金まみれで、会社は倒産寸前に追い込まれたという。
「いっそ死んでしまおうか....」
破滅への誘惑が襲い掛かってきて、もがき苦しむ日々が続いた。
しかし、ある時、夜中にふと目覚めると、いつものように「死」を考える自分がいる一方で、もう一方に「まだ死んでいない」もう一人の自分の存在を強く感じた。
そうだ。私はまだ死んでいない。たとえば、手を縛られて海に放り投げられたのが今の自分だとしたら、自分にはまだ足がある。その足を使って泳げばいいじゃないか。そう思う自分がいた」 (引用:山本寛斎「熱き心」)
パリでの大失敗のあと、寛斎さんは単身海外をまわり、行商をしたという。
「一着一着の服作りに、命がけの気迫を込める」
その甲斐あって、寛斎さんの服は徐々に世界で認められるようになり、もう一度、パリでコレクションを開くことができたという。
『人間は、無尽蔵のエネルギーを持っている。』
どんなに苦しい時であっても、その気持ちを忘れずに、果敢に挑戦し続けました。 (出所:KANSAI YAMAMOTO 公式インスタグラム
この本を買った当時、会社の先輩に裏切られ、ひどく落ち込んでいた。その時、この本を読んでいくぶん救われたことを思い出す。
そんな経験があってか、この本を何人かに紹介した。この本を読んだ人と、「寛斎さんって、すごく熱い人なんですね」って言って、話が盛り上がったりした。
中には、この本を買う人も現れたりした。
この本の最後は、
「人生最期のその日は、「じゃあ、またね」と笑顔で逝きたい」
最後の最後まで強烈に自分の道を歩み、その途中で息絶えた冒険家の植村直己さんや動物写真家の星野道夫さんのラストシーンが理想に近いかもしれない。
いずれにしても、人生最期のその日まで、やりたいことを続けたい。
(引用:山本寛斎「熱き心」)
オンラインイベント「日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー‼」を予定通り、7月31に開催するという。
寛斎さんが後年力を注いでいたのは、こうしたスーパーショーだった。
やりたいことをやり続けた人生だったのだろうか。
先日、娘の娘が10歳の誕生日を迎えたとき、OK!彼女が20歳になるまで、あと10年間はカッコよく生きてみようと決めた。十年後にまだ元気なら期限を設定し直せばいいだけだ。(引用:山本寛斎「熱き心」)
笑顔で最期を迎えたのであろうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。
「参考文書」