石川県金沢市に、海洋プラスチックスを回収し、アクセサリーに加工する、「カエルデザイン」というアップサイクルブランドがある。
あまり詳しく知っているわけではない。Twitterで、その写真を見て美しいとただそう思っただけだ。プロフィールを読んでフォローさせていただくことにした。応援になればと、素敵な写真があれば「いいね!」を押すくらい。その程度である。それでも興味があったのだろうか、Twitter以外で、「カエルデザイン」との名を見つけると、ついついチェックしていた。
石垣島から届いたイエローの海洋プラスチックをメインにアップサイクルしたイヤリング。
— アップサイクルアクセサリー「カエルデザイン」 (@kaerudesign2019) 2020年10月15日
イエローの他にグリーンやブルー、ピンクなど様々な色が入り混じって、滲んで、揺らいで、
ポップで温かな印象に仕上がっています。 pic.twitter.com/HCElFedT1X
マイクロプラスチックスなどの海洋プラスチックスを原石にして、磨く替わりに加工し宝石に変えていく。素敵な活動だと思った。
カエルデザインの思い、願い
カエルは幸運の象徴。カエルデザインはその由来を説明する。カエルには、日本語の同じ発音の「かえる」という言葉がたくさんあり、そのどれも状況を良い方向へと変えてくれると。
カエルデザインは、マイクロプラスチックなどの海洋プラスチックを再生し、アクセサリーというあらたな商品として生まれ変えさせます。
また、海の環境や、パートナーである障がいを持つ人たちの現状を、少しずつでもより良い方向へと「変える」ことを目的とします。
カエルは、そんな私たちの思いと願いの象徴です。
(出所:カエルデザイン公式サイト)
ごみと財
海洋プラスチックス、海に漂っていたり、海岸に打ち上げられれば、ただの「ごみ」。そのただの「ごみ」にひとたび人手が加わると「財」に変わる。不思議なことと思うが、よくよく考えてみれば何も不思議なことではないのかもしれない。ごく普通の経済活動と何も変わらない。ただ、素材が「ごみ」というだけのこと。
しかし、素材が「ごみ」と聞くと、何か奇妙な感情がわき起こる。「ごみ」に対する固定概念がそうさせることなのだろうか。
ごみとは何か
ごみとは、広辞苑によれば、②物の役に立たず、ない方がよいもの。ちり。あくた。ほこり。また、つまらないものとある。漢字で書くと「塵」、「芥」。
Wikipediaによれば、ある時ある人にとって役に立たず、「ごみ」と見なされるものであっても、状況が変わり利用法が見つかると、「ごみ」ではなくなるという。また、他の人にとっては役に立ち、その人にとってはごみでは無い、ということもありうる。つまり、別の利用法や利用できる人を見つけることで、「ごみ」が「ごみ」でなくなることになる。ほかの何かを作るための原料として利用すれば、「ごみ」は資源となる(リサイクル)と解説する。
日本では、江戸時代から、使い終わった紙を捨てたりせず、回収して、紙として 漉き直して、ちりがみなどとして利用するということが行われていた。紙に限らず、江戸では、さまざまなものがリサイクルされていたことが知られている。 (出所:Wikipedia)
とある人のブログを思い出す。その人のブログにも「江戸時代はモノが少なくすべてが貴重な資源」といっていた。
当時の江戸の人口は、世界で最大の都市だったそうですが、長い鎖国で物資は輸入できずに、国内のエネルギーと資源をうまく活用していくしかなかった。
新しいものは簡単には手に入らない時代なので、どんなものであっても現代ではごみ同然の物でも徹底的に再利用されました。 (引用:共に生きたい)
「ごみ」を「ごみ」として処理するから環境問題が生じるのではなかろうか。「ごみ」という概念がなくなれば、ポイ捨てがなくなったりはしないのだろうか。
江戸の時代のように、「ごみ」を資源や財に変える産業がもっと興ればいいのかもしれない。従来型の自治体のごみ処理に頼らずに、「捨てるという概念を捨てよう」という「テラサイクル」のような会社が増えればいいのかもしれない。
できれば、それと同時に「ごみ」を少なくしていくことは必要なことなのだろうけど。
ペットボトルでドネーション
オーガニック スーパーマーケットのビオセボンが、ペットボトル回収時にお客様が寄付先を選択できるペットボトル回収機を麻布十番店と武蔵小杉店に設置したという。
寄付先として、ユニセフ、日本赤十字社、WWFジャパンの3団体が選べ、寄付先を選択すると、ペットボトルを回収口に投入することができるという。ビオセボンでは、ペットボトル1本につき1円の寄付として集計し、年1回、各団体へ寄付を実施する予定だという。
この装置を開発したのは寺岡精工。寄付先を選択せずにペットボトルリサイクルに参加することも可能ですと説明する。
(資料:寺岡精工)
ごみ箱をちょっと工夫することで、「ごみ」に何か価値がついたりするのはいいことのなのかもしれない。
「ごみ」という概念が変わり、「ごみ」を手放すことで「資源」になり、次の新たなモノに変わっていく、それが社会の常識になれば、環境問題ももう少し変わっていくのかもしれない。もしかしたら、環境問題ということ自体がなくなるかもしれない。
「ごみをひとつ拾えば、ごみがひとつ減る」
現実には、海には数えきれないほどのプラスチックスをはじめてとするごみが存在する。
「ごみをひとつ拾えば、ごみがひとつ減る」。
そして、そのごみをごみとして処理するのでなく、資源にして財に変えていく。そうしたエコシステム、生態系が生まれ、ビジネスとして活動が続いていくといいのかもしれない。時間はかかるかもしれないが、そうすることで、いつしか海洋ごみ、プラスチックスは無くなっていく。
まして、プラスチックスをごみをなくしたいという切実なニーズが存在する。便利さを求めるニーズに応えようとビジネスがおきるように、こうした痛切なペインに応える動きがもっともっとあってもよさそうだ。
「オルタナS」がカエルデザインを紹介する。
実家に戻り、母と同居するようになって1年半くらいになる。あふれるほどあったごみも1/3くらいまでには減ってきた。使い切る、食べきるに心がけているだけで、たいしたことはしていない。
母の認知症も少し落ち着てきてるように思う。少しまとまった時間ができれば、地元の海でごみ拾いするのもいいのかもしれない。そこで集まったごみもカエルデザインに送られ、きれいな宝石に変わっているようだ。