Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

2021年の始まり、幕末維新に生きた渋沢栄一に「仁」を学ぶ

 

 明けましておめでとうございます。新しい年2021年が始まった。良い年になることを心から祈念したい。

 年始早々、コロナの話で騒々しい感もする。リーダーたちはその対策に余念がないのだろうか。人を思い、人のために尽くしてもらいたいと、そう願うばかりである。気がかりではあるが、あまりこの話題には触れたくないのが今の心境だ。投げやりというわけではないが、すべては時間が解決してくれるのだろう。

f:id:dsupplying:20210101150921j:plain

 さて話題は変わるが、今年のNHK大河ドラマは「青天を衝け」、2月14日から放送になるという。日本資本主義の父といわれ、新一万円札の顔になる渋沢栄一の生涯を大森美香さんが描くという。少しばかり楽しみにしている。

www.nhk.or.jp

 渋沢栄一、幕末から昭和初期の歴史小説には必ずといっていいほどにその名が登場する。何者かとおもったが、本に登場する栄一の姿に興味をもち、栄一の生涯を描いた城山三郎さんの「雄気堂々」を読んですっかり虜になってしまった。 

 

 

 10年くらい前だっただろうか、書店で何か良い本はないかとぶらぶらしているときに、栄一が書いた「論語と算盤」が目にとまり、読んでみた。「論語」に改めて興味をもったのも、この著作のおかげかもしれない。

  

 

「雄気堂々」と渋沢栄一

 物語は、日本橋常盤橋公園にある銅像の話から始まる。「また雨ざらしにされるのは、ごめんだね」と、城山は栄一がそう語ったと書く。

いかにもご本人が生きながら風雨にさらされるといった感じであった。

 古い像には、「子爵・渋沢栄一」とある。

爵位もまた一昔前までの人物評価の尺度と考えると、三井、岩崎(三菱)、住友、古河、大倉など、大財閥の一族でも男爵どまりの中で、経済人でたったひとり、子爵にぬきん出たのが、渋沢栄一であった。 (引用:雄気堂々(上)P5) 

雄気堂々(上) (新潮文庫)

雄気堂々(上) (新潮文庫)

 

 

  城山は、栄一の「論語」好きを紹介し、生涯「論語」を愛し、「論語」の文献を集め、購読会を開いていたという。下級武士上がりの明治の元勲たちが、もっともらしい系譜作りに精を出していたのに対し、栄一は「武州血洗島の一農夫」で押し通し、最後まで野人であったという。

 そして、物語は、栄一の生地血洗島での祝言から展開されていく。

 上巻で描かれる尊王攘夷の志士として活躍する青年期の栄一より、一橋家の家来になり幕臣としてパリに留学し帰国後、静岡で暮らす慶喜と再会、一念発起し、慶喜を支えるようとする栄一の姿に感動したりした。

 その後、大蔵省に出仕するが、政治との関わりに嫌気がさしたのだろうか、辞表を提出し、民間人として日本経済の祖を築いていく。

 城山が描く、「雄気堂々」には、三井、岩崎(三菱)、古河、大倉、浅野などの今でも続く大企業の始まりも描かれる。そうした企業が取引先にあったから興味を持って読めたのかもしれない。 

 

 

 物語には、栄一の従兄渋沢喜作が登場する。栄一とまるで違う血気盛んな性格が愛らしく感じたりもしたが、その喜作も栄一とともに成長し、やがて経済人となっていく。

ドラマ「青天を衝け」では、その喜作を高良健吾さんが演じるという。どんなあばれ振りか楽しみである。 

 

 大河の前半はどんな展開で進むのだろうか。

 

論語と算盤」

 栄一の著作「論語と算盤」も、「論語」のことで始まる。冒頭、栄一は「弟子たちが孔子のことについて書いた「論語」という書物がある。ここには今、われわれが道徳の手本とすべきもっとも重要な教えが載っている」という。

 孔子、2500年前の中国の人。紀元前に生きていた人である。天下三千の秀才を集めたというが、生涯不遇であった。

「有朋(とも)遠方より来る」や「温故知新」、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」などの有名な諺は論語の中から生まれている。

 

 

 栄一は、「論語」とソロバン(=経済活動)は、とてもかけ離れているように見えて、実はとても近いものであるという。ソロバンは「論語」によってできているとまで言い切る。

 実業とは、多くの人に、モノがいきわたるようにするなりわいなのだ。これが完全でないと国の富は形にならない。

国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうなければ、その富は完全に永続することはできない。

 ここにおいて「論語」とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えているのだ。 (引用:「論語と算盤」 渋沢栄一 P15)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 

 このコロナ渦を思うと、栄一のいう言葉に説得力を感じてしまう。

 

 時代の児 渋沢栄一

 「論語と算盤」の巻末に、「渋沢栄一小伝」がある。それによると、幕末維新の落し子にして、近代日本の産婆役といわれる栄一を、文豪幸田露伴が、「時代の児」と評したという。

 その栄一は、「尊王攘夷」、「文明開化」、「明治維新」、「殖産興業」という異なる5つのステージを駆け抜け、そして、栄一自身は自分の人生を振り返って、

自分の身の上は、はじめは卵だったカイコが、あたかも脱皮と活動休止期を読んども繰り返し、それから繭になって蛾になり、再び卵を産み落とすような有様で、二十四、五年間に、四回ばかり変化しています (引用:「論語と算盤」 P223)

と述べたという。

 

 

 大河ドラマも同じような構成になるようだ。作者の大森さんも「論語と算盤」を読んだのだろうか。どんな展開になるのか楽しみである。

 

 

 道徳というと少しばかり堅苦しく聞こえるかもしれない。栄一が幕末維新、そして明治期にどんな心構えで日本の経済社会を作ってきたかを知ることで、その意味を理解することができるのかもしれない。

 

 「論語」と2021年

論語」の中心をなす考えは、「仁」と「礼」と「楽」といってもいいのだろうか。

「楽」は、楽(らく)とも読めるし、楽しむとも読める。「音楽」の楽からはハーモニーとか調和との言葉も連想できる。

「礼」はマナーや規範。礼のひとつの形として日本では「茶道」などがある。堅苦しく見える礼儀、作法も極めれば、楽しみに近づくのかもしれない。茶道を極めた井伊直弼が「一期一会」と言ったのも、そうした背景があるのかもしれない。

「仁」、他者を愛する気持ち、誠実な人間愛とでもいうのだろうか。利他の心は「楽」に通ずるのかもしれない。

「巧言令色鮮し仁」なる論語の言葉を聞くと、このご時世を表しているのかもしれない。

「言葉巧みに飾り立てたり、外見を善人らしく装うのは、「仁」、他者への配慮がすくない」 

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

 「仁」と「礼」に「楽」、そんなワードで今の社会を見てみれば、このコロナ渦を生き抜く智慧を得ることがあるのかもしれない。

 

自分らしさ」や「ありのままの自分」こそ、人のもっとも輝ている部分だというのは、私も賛成するところだと、渋沢栄一はいう。

しかし、人の喜び、怒り、哀しさ、楽しさ、愛しさ、憎さといった「ありのまま」の感情の動きが、どんな場合でも問題ないとはいえないだろう。

理想の人物や立派な人物は、感情が動くときにさえ、ケジメがあるものだ。 (引用:「論語と算盤」P140)

 こんなことも「青天を衝け」で描かれることを期待してみたい。

 さて、2021年が始まった。コロナ渦を乗り越え、みなが笑顔を取り戻すことを願うばかりである。