ECサイトなどによくあるおススメとか、リコメンデーション機能が好きになれない。顧客の好みを分析するマーケティングツールとしては有用なものかもしれないが、それでは新しいものを発見する喜びがなくなってしまうのではないか。
ネット上で自分の行動が追跡され、機械学習され、そのパターンから提供される情報が偏ったものになることほどつまらないものはないと常々そう思っている。
そんな気持ちを理解してくれているかのように、「常に監視されている状態を想像してほしいのです」とアップルのCEOティムクック氏が言ったという。
「私の考えでは、プライバシーは今世紀最大の問題の一つです」とも、断言したという。
1月28日「データプライバシーの日」であるその日、コンピュータ、プライバシー、データ保護に関する国際会議「CPDP」が開催され、アップルのティム・クックCEOのスピーチがライブ配信されたという。その後、米国のビジネス誌が彼にインタビューしたとCurrier Japonが伝える。
あなたは自分の行動をどう変えますか。どのような行動を減らし、どのような行動をやめますか。
ウェブにアクセスして何かを見たり、調べ物をしたりするたびに好奇心を抑え、自分の行動をどんどん抑制するようになるのではありませんか。そのような世界は誰も望んでいないはずです。
そうした世界では、ほとんどの人がすぐにこう考えるようになるでしょう。
『これとこれを検索しようと思ったが、見ていることを他の人に知られたくない。ちょっと興味があっただけだから』。
私が心配しているのは、こうした行動の変化です。これは、すべての人が憂慮すべきことです。 (出所:Currier Japon)
Currier Japonによれば、「人工知能(AI)と、拡大するプライバシー侵害とでは、どちらの方がテクノロジーの脅威なのか」と尋ねられたクック氏は、「どちらも悪用でき、どちらもテクノロジーによって影響が拡大することは間違いありません」と答えたという。
言えることは、どちらに対処するかを選ぶ余裕はもうないということです。私たちは「倫理」にかなったデータプライバシーとデータ収集を実現する必要があり、同様に、「倫理」にかなったAIも実現しなければなりません。 (出所:Currier Japon)
常にテクノロジーが先行し、その後を追うように法規制が発動する。昔も今も変わりはない。
公害問題が発生すれば、様々な規制が実行される。環境は一時の最悪状態からは脱却しつつあるが、ゴールには到達しない。そればかりか、今では地球温暖化の問題が顕在化し、海洋はプラごみがあふれることになった。
基本的には規制派ではないというクック氏。それでも、「プライバシー保護規制に関しては、世界中の政府を巻き込み、願わくは世界全体で統一された基準を策定する必要がある」と考えているという。
アップルはすでにプライバシーの保護に本気で取り組んでおり、「プライバシーの4つの柱」として、データ最小化、オンデバイス処理、透明性、セキュリティに注力している。
「このすべてを、新しい規制法案を書き上げられるくらい徹底的に考えていく必要があります。おそらく、企業が自主的にこの問題に取り組むことはないでしょうから」 (出所:Currier Japon)
様々な企業がデータを入手することに躍起になり、そうでなければ、企業に未来はないような語られ方をする。そんな中で、DXデジタルトランスフォーメーションなどと言い出されれば、多少なりとも不安は感じる。
政府はデジタル庁を創設して、デジタル化、DXデジタルトランスフォーメーションを推進する。
「デジタル庁を創設していくらお金をつぎ込んでも、ITベンダーにすべて吸い取られてしまいます」と危惧を示すのは中島聡氏。東洋経済オンラインが中島聡氏にインタビューし、その言葉を紹介する。
「ITベンダーの側からすれば、全面書き直しにならないようなプロジェクトの受け方をする営業担当者は優秀ではないですからね。完成したプロジェクトが何年役立つかよりも、受注した仕事を何度も書き直して、予算をとるほうが重要になっています」と、中島氏は指摘する。
デジタル庁を立ち上げるとすれば、柱となる「プリンシパル(原則)」が必要になるでしょう。
ハンコをなくすといったことは結果の1つでしかなく、デジタル庁を通じて、何をしようとしているのかという「核」が必要になります。
私は、政府のお金を1円でも使ったソフトウェアは「オープンソース」にすることを決めた法律を作るべきだと思っています。
現在の政府や地方自治体の予算は、ITゼネコンと呼ばれる、IT業界のシロアリに食われまくっているような現状です。 (出所:東洋経済オンライン)
「オリンピック・パラリンピック観客等向けアプリ(仮称)」の開発費用が、運用・保守もあわせ、総額73億円の予算とのことを思い出す。
コロナ渦の中で、政権が変ったことで色々な膿が噴出してきているように思う今日この頃。それはそれでいいことなのかもしれない。
政権誕生の際に掲げた理想とは、ずいぶんかけ離れているのが現実のようだ。
就任当初の記者会見では、高額料金を貪る通信キャリアについて言及、「あたり前でないこと」が「当たり前」になっているとし、「何が当たり前なのか、そこをしっかりと見極めた上で、大胆に実行する」、「これが私の信念です」という話をしていた。
「当たり前」とは何であろうか。
「善行」が当たり前になる日は来るのだろうか。