Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

あれから10年、これからの10年

 

 このコロナ渦にあるからだろうか、今年は例年と違う感情で10年前の東日本大震災のことを思っているような気がする。

 当時のことを思い出せば、東北の被災状況や原発事故のことを思いながらも、寸断されたサプライチェーンの影響を最小化することばかりに専念していた。

 時間経過とともに、その影響が半導体関連に絞られることがわかったが、その年の夏にはタイで大洪水が発生し、供給が滞る部品がないかの確認に再び奔走していた。

 

 

 福島県いわき市に工場があるスイッチメーカの小さな部品が問題になりそうだった。震災で工場が被害を受け、従業員も出社できず、工場の操業ができず、その生産をタイに全面移管することにした。それで、その供給問題は解決すると思われた。しかし、それはつかの間、タイに生産を移管すると、今度はタイで大洪水が発生し、その被害にあうことになる。その会社は、いわき市で再び生産することを選択する。

 前後の経緯もあったので、いわき市の工場を訪問し、生産体制に問題がないか確認を行うことにした。

 いわき市を訪れたのは震災後半年あまり経ってからだっただろうか。訪れた工場は被災したときの状況をまだとどめていた。エアコンが天井から宙づりのままの部屋もあった。その小さなスイッチを生産するエリアは急ぎに整備され、とりあえず生産できる形にはなっていた。

 ただ作業者が思うように集まらない。元の従業員は解雇となり、半年後、再びいわきで生産となっても呼び戻すことができなかったと聞いた。

 震災直後、地元いわきを見捨てるかのようにタイに生産を移し、タイで被災したから、再びいわきに戻る。地元の人々にはなかなか受け入れられないことだったと話を聞いた。

 

 

 生産現場には、被災地タイの従業員が人が派遣され生産を維持する状態だった。急ごしらえの生産現場、何とか生産を維持できている状態。

 その経緯を聞き、現場を見ると厳しく指導することは出来なかった。

 その小さなスイッチは出来上がると輸出され、マレーシア工場で製品に組み込まれ、最終的には米アップルに納入される。代替品に切り替わるまで、いわきでの生産が続いた。

 今でも心に残る案件のひとつ。顧客への供給責任と被災地の現場。後者を思えば、生産を継続させたかったが、小さな部品ひとつの問題でアップルへの供給を止めることもできない、心で葛藤していたことを思い出す。

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 「トヨタ半導体不足で発揮した抵抗力 震災10年 供給網寸断の教訓」とロイターが報じる。

 それによれば、トヨタは、東日本大震災後、半導体の調達手法を改めたという。BCP事業継続計画の一環として、災害などが起きてもしばらく製品を納入できるだけの半導体在庫を持つよう、サプライヤーに求めたという。3.5~4カ月分。長いものでは6カ月分、半導体の発注から納品までのリードタイム分になるという。

こと半導体に関しては、トヨタは従来の生産管理手法の「教科書」を書き直した。世界的に半導体が不足し、サプライチェーンリスクが注目される今、トヨタはその成果を本格的に示しつつある。

 

トヨタ半導体在庫を積み増したサプライヤーに対し、毎年の原価低減活動で下がったコストの一部を還元している。トヨタの場合、MCUの在庫はデンソーのような部品メーカー、半導体商社、ルネサスや台湾のTSMCのような半導体メーカーが持つ。 (出所:ロイター)

jp.reuters.com

 

 震災後、勤めていた会社は事業の閉鎖を決めた。世界2位3位のシェアがあったが、事業を始めてから20年あまり、価格競争が厳しくなり、利益確保がやっという状態になっていた。新たな技術が登場し、先々陳腐化していくことは明白だった。早めに事業撤退することを決断した。

 あのいわきでの経験が今も悔いとして残る。その悔いを挑戦に変え、前進しようとしたが、そのスピードが滞っている。山あり谷ありの10年、思うように進めることができていない。闇に葬りたい出来事もあった。

 

 震災10年目の朝、父の三回忌でもある今年、これから始まる10年を意味あるものにしていこう、そう思う。