人とは不思議なものである。ありとあらゆるものを対象として研究を行なう。困った事象が起きれば、それを課題として研究開発を進め、いつしかその課題は解決されていく。それでも人類が生存し繁栄するための課題は無数に存在し、尽きることはないのだろう。そうした課題解決の姿勢があるからこそ、人類が地球上最強の生き物になったのかもしれない。
その人類を新型コロナが脅かす。欧米で猛威をふるい、今度はインドに飛び火した。しかし、それに比べれば日本を含めた東アジアは少しばかり穏やかなのかもしれない。
そこに着想を得て、その謎をゲノムを使って研究する人たちがいるという。まだこの研究は正式な論文になっていないが、第三者による査読の準備が進められているとNewsweekはいう。
「過去に東アジアの人々がコロナウイルスまたはそれに酷似したウイルスと長期間闘っており、その過程で闘いに有利な進化を獲得したのではないか」というその内容を記事は紹介する。
「時とともに、人類の生存に有利なゲノム、すなわちウイルスに強いタンパク質を生成できるゲノムが広まるようになった」。
古代のコロナウイルスとの闘いに有利な突然変異がひとたび起きれば、その持ち主は他の人々よりも高い確率で生き延び、子孫を残しやすくなる。これを繰り返すことで、特定のウイルスへの防御力に優れる遺伝情報が集団の多数を占めるようになり、世代を追ってやがて定着してゆく。
これは進化の過程における「選択」と呼ばれる現象で、不利なものが姿を消す「淘汰」と対をなす概念だ。 (出所:Newsweek)
「自然選択」とは、生存に有利な特性が普及し、そうでないものが自然と淘汰される現象を指すという。
「ゲノム編集」、生物が持つ遺伝子の中の目的とする場所を高い精度で切り出し、特定の遺伝子が担う形質を改変する技術。「自然選択」を人工的に、自分たち人類にとって有利なものにしようということなのであろうか。
食糧問題の解決を社会課題として、すでに「ゲノム編集」は行われ、気候変動などに耐性のある農作物が生まれたりする。肉が食糧危機を助長すると言われ、「代替肉」や「培養肉」が生まれる。こうした新たな肉もバイオテクノロジーの進化があってのことだったのだろう。
こうした技術が実用化されれば、食糧問題は解決されていくのかもしれないが、そこにまた新たな課題が生まれる。 いつもこれら研究には「倫理」の問題がつき纏っていた。
「畜産や魚の養殖も、100年前の人にしてみれば不自然かもしれない」とプレジデントは指摘する。一方で、今では、畜産は「動物福祉」に反するとの声をある。
何が正しいのだろうか。人間のエゴが、人類の課題だけを解決したことなのかもしれない。
今、気候変動に関し、「ソーラー・ジオエンジニアリング」の研究が進んでいる。
「ソーラージオエンジニアリング」とは、上層大気に小さな反射粒子を追加するか、下層大気の反射雲量を増やすか、熱を吸収できる高高度の雲を薄くすることによって、地球を冷却するという。
これは地球の気温を下げる可能性を秘めるが、未知または否定的な結果をもたらす可能性もあるという。
米国科学アカデミーは、「ソーラージオエンジニアリングの研究を慎重に追求する必要がある」とのレポートを発行し、その課題を明らかにする。
・ソーラージオエンジニアリング研究の目標と社会的背景に関する研究、モデリングシナリオの開発、不確実性の下での意思決定のための戦略、およびすべての国がこの問題に有意義に取り組むために必要な能力を含む、ソーラージオエンジニアリング研究の背景と目標。
・注入された反射粒子の特性と雲や大気プロセスとの相互作用、考えられる気候の結果とその後の生態系および社会システムへの影響、これらの技術を進歩させるための技術的要件、監視および帰属機能の進歩など、影響と技術的側面。
・ソーラージオエンジニアリングに対する一般の認識と関与に関する研究を含む社会的側面。国内および国際的な紛争と協力。ソーラージオエンジニアリングの効果的なガバナンス。正義、倫理、公平性の考慮事項の統合。
自然の摂理に反して研究開発を行おうとすれば、「倫理」の問題にふれる。
その倫理を調べてみれば、社会生活で人の守るべき道理。人が行動する際、規範となるもの。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるものという言葉がならぶ。
その倫理、善悪、正邪は何をよりどころにするのだろうか。天地自然の理法、自然法則に従うのではなかろうか。
都合よい倫理、人間のエゴが自然法則まで変えようとしていると言えそうな気もする。
ソーラー・ジオエンジニアリングやバイオテクノロジー、新しい技術を発展させていくには、同時に「倫理」を研究し、定義して社会実装させる必要もあろうということなのだろう。
あちらこちらで人混みというニュースを目にするゴールデンウイーク最終日にそんなことを考えてしまった。