Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

アテネの聖火採火式で、人権活動家が抗議、終わらない差別と対立

 

 早いものである来年に2月は冬のオリンピックが中国北京で開催されるという。その聖火の採火式がギリシャ アテネで行われ、抗議活動があったという。

五輪=北京冬季大会ボイコット訴え、活動家が人権問題巡り | ロイター

 ロイターによれば、亡命ウイグル人組織のウイグル系カナダ人メンバーが、アテネで開いた会見で「五輪の聖火は平和と希望を象徴しているはずだが、残虐な中国共産党の下で生活している私たちにとって、これは中国の極端な抑圧に世界が加担していることを意味する」とコメントしたそうだ。

 中国政府は「人権問題は存在しない」との立場なのだろうけれど、抑圧されていると訴える人たちとは違った意見が存在する。こうした問題の真実は、相反する2つの事実が存在するということなのだろう。

 

 

 初めての海外出張はシンガポールだった。もうだいぶ前のこと。たまたまに乗車したタクシーの運転手に、「日本人か」と聞かれ、「そうだ」と答えると、「戦争当時、この国で君のおじいさんたちが何をやったか知っているか」と聞かれた。答えに窮していると、当時の話を聞かされ、曖昧な態度でいると、「セントーサ島にある歴史博物館に行ってみろ」と言われた。

 気になっていたのか、数日後、行くことにした。当時の現地の生活がそこに展示されていた。争うときには必ず相手がいて、その相手にも論理があり意見がある。そして、その2つの意見は相容れないから争いになる。

 その後、だいぶ時が経ってからシンガポールに駐在するようになった。同じような経験をすることはなかったが、戦争当時の遺跡を見かけると、ふとそのことを思い出すことがあった。当時、この地でどんなことがあったのかと思いを巡らせたりした。

f:id:dsupplying:20211021111231j:plain

 ある時、赴任したシンガポールから中国に出張した。その時はちょうど反日デモがさかんの時だった。よく訪れたその都市はわりあい親日と言われ、それまで反日デモが起きていなかった。

 が、そのときはその都市でもデモが行われると情報が流れ、出張先の日系企業から、急ぎ北京に退避していくれと言われた。身の安全を保障しかねるとのことだった。北京であれば、中央政府のお膝元、ここよりは安全だろうとの判断だったようだ。日系の五つ星ホテルを予約してくれた。日系なら日本人に危害を加えることはないだろうと、配慮してくれた。

 北京まで車で2時間あまりの移動、途中1回の休憩を挟んだ。下車すると、周り中が敵のように感じてしまい、ついつい身構えてしまう。気づけば、車の運転手も現地人だった。ただ日系企業の運転手だ。反日ムードにあっても、親日のままでいてくれたのだろう。休憩のときも周囲を警戒してくれているようだった。彼のおかげもあるのだろう、何事もなく、北京のホテルに移動できた。翌日、急ぎ赴任地のシンガポールに戻った。

 デモに参加する人々の感情まで知る由はない。ただ現実にデモが起こり、日系の施設が被害にあったと、後になって聞いた。それが事実だ。

 国が変われば差別される側に回ることもあるものだ。そこで、嫌々それはおかしいだろうといっても、その意見に耳を貸してくれる人は少ない。互いの違いを尊重し合えれば、共存はありえるのだろうが、なかなか難しい。それが多様性の現実なのかもしれない。

 

 

「差別的言動か、言論の自由か」とブルームバーグが報じている。

日本が問われる多様性と共生-不安やまぬ「今ある問題」解消できるか - Bloomberg

 国内にも様々な問題があると記事は指摘し、「少子高齢化で移民受け入れの方向、人権ある住民としての認識が鍵」という。

 反日デモ最中の中国から帰ったのはシンガポールだった。そこには家があり、仲間がいた。そうした環境なら安心できる。

 シンガポールの職場は多種多様な人種に溢れていた。日系企業に勤める人々だから、大なり小なれ、みな親日家なのだろう。互いの理解が生まれやすい環境だったのかもしれない。日々の仕事ではいざこざはあっても、それで、ひどい対立になるようなことはない。おそらく、みなでその違いを尊重し合っていたのだろう。

 断じることはできないが、日本で働こうとする人々も、日本に好意を寄せる人々が多いのではないだろうか。こちらが不用意に身構えない限り、もしかしたら、もっと分かち合えるのかもしれない。相手の立場になって考えることができれば、摩擦は減るのではなかろうか。

 差別される側を経験することが理解できることもある。そのことを思い出した。