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【脱成長と過剰消費】行き過ぎたデータ偏重が浪費を生むのか

 斎藤幸平氏の著作『人新世の「資本論」』が英訳され、2023年に刊行されるそうです。

 それを前に英紙「ガーディアン」が斎藤氏にインタビュー、その内容をクーリエジャポンが紹介しています。

斎藤幸平が英紙に語る「資本主義は我々を“通常の”暮らしに引き戻そうとしている」 | 『人新世の「資本論」』が大ヒット、英訳も刊行予定 | クーリエ・ジャポン

ある日本人研究者によるマルクス主義と環境問題についての著書が、驚くほどのベストセラーとなっている。

彼によれば、世界が資本主義に「緊急ブレーキ」をかけ、「新たな生き方」を見つけ出さない限り、気候危機は制御できないほど悪化していくのだという。(出所:クーリエ・ジャポン

 日本で50万部とベストセラーと同書が世界で受け入れられることになるのでしょうか。斎藤氏は、英語圏の読者にも受け止められることを願っているそうです。

 

 

 「この30年間の経済政策が失敗してきたのだとすれば、新たな生き方を探し出すべきではないか?」

「世界的な脱成長」という言葉だけでも、「富裕社会から、経済が縮小し生活水準も低下する暗黒時代への没落」といったネガティブなイメージを想起させる。

ここ70年間の大部分において同一保守政党が政権を握ってきた日本で、喫緊の問題に対しマルクス主義的要素を解決策として提示する本は売れにくいだろうということは、斎藤も認めるところだ。(出所:クーリエ・ジャポン

「無限の利益を求める資本主義が地球を破壊しており、「脱成長」により社会の生産スピードを緩め、富を共有することだけが、そのダメージを修復できる」と主張するメッセージには共感できますが、一方で、「資本主義というシステムを丸ごと捨ててしまわなければならない」との主張は少々行き過ぎのようにも感じます。

 長く続いた保守政権が続けてきた成長路線のアクセルを弱め、政策の極端さを修正し、中間地点で運営すべきなのでしょう。そのためには、斎藤氏の主張を取り入れ、軌道修正していくのはいいことなのかもしれません。

 ただ急激な変化は混乱のもとです。まずは資本主義の改善にアプローチすべきではないでしょうか。

 

 

「脱成長」と同義になってしまうのかもしれませんが、まずは成長を指標とせず、その数字を追わず、斎藤氏の主張と一部重複するのでしょうけれども、生活に欠かすことができない1次産業や生活インフラ、また社会保障などを再整備することから改善を始めるべきではないかと感じます。

 行政のDXを進め、人員を含め規模の最適化を図り、また不平等が起こらない社会保障制度を第一優先で構築し直す。それに加え、生活に直結する1次産業や生活必需品、インフラ関連産業のDX、GXを進め、そこでは経済安全保障に適うよう調整していく。浪費癖のついた国政を正し、放漫財政で、肥大化した債務の適正化を進める。この間の成長投資は必要最小限に留める。その成果を確認したうえで、次の戦略を練るべきではないでしょうか。

 データが価値が生むといわれるようになり、データ偏重の社会になっているのかもしれません。必要なデータを分析し、それをベースにすることはいいのでしょうが、一方で、過剰なデータ依存もあるようです。

「データが増えれば価値が増えるわけではない」という専門家もいます。さらに「データは量と種類が増えると分析が難しくなり、データにノイズも増えるので、むしろ使いにくくなる」といいます。

 

 

 〇〇経済圏といい、ポイントを乱発し消費者を囲い込み、購買履歴データなどを使ってさらなる消費を促そうとします。この物価高騰にあって、ポイントサービスはありがたいものですが、それで過剰な競争が生じることがあってはならないのかもしれません。それが浪費を生み、さらなる過剰になり、ムダとなるのではないでしょうか。

 こうした過剰を回避するためには、「脱成長」は妥当なことのように思えます。

 

「参考文書」

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