クマの被害が深刻な状況です。クマによる人身被害(死者数)が、過去最多のペースで推移しています。岩手県や秋田県などで被害が多く発生しています。都市部である東京都でも、多摩地域を中心に目撃情報が急増しているといいます。人里周辺での被害の割合も高まっています。
個体数と分布域の拡大
ツキノワグマは四国を除く34都道府県に分布し、分布域が全国的に拡大傾向にあるそうです。特に低標高域での拡大は、クマが人間の生活圏に近づいていることを示唆しているといいます。ヒグマ(北海道)も個体数が増加傾向にあり、推定で約30年間で個体数が2倍以上になったとの報告もあるそうです。「もうクマは山だけの問題ではない」ということなのかもしれません。
日本経済新聞は、この状況を比喩的に「クマの惑星」と表現します。
2050年、日本列島は「クマの惑星」に?https://t.co/mztGx6W14Q
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) 2024年10月6日
人の住む地域へのクマの進撃が加速し、東北では人身被害が過去最悪のペースで生じています。クマと人の世界を分ける里山で、農業や林業などの活動が減ったことが原因です。 pic.twitter.com/ulmGVCfak2
クマの惑星
これは、映画『猿の惑星』で知的な猿が人間を支配する世界が描かれたように、人間の生活圏が脅かされ、クマの存在感が圧倒的になっている現実を象徴する、皮肉的かつ危機感を込めた表現なのでしょうか。
これまでは、「人間が里山を管理し、クマは山奥にいる」という構図がありましたが、近年ではそれが崩れ、クマが人間を恐れず生活圏に入り込み、場所によっては人間がクマの行動を警戒して活動を制限せざるを得ない状況が生まれています。これは、映画「猿の惑星」で描かれた「知性ある人間が知性ある猿に支配される」という立場の逆転と重ね合うところもあるのかもしれません。
この映画が人類の愚かさによる自己破滅の未来を描いたように、「クマの惑星」という表現は、このままでは人間とクマの衝突が避けられず、人間社会の安全や生活が根本から脅かされるという強い危機感も反映しているのでしょうか。
映画「猿の惑星」では、 宇宙飛行士のテイラーが、仲間と共に宇宙船で地球から320光年の長旅の末、とある未知の惑星に不時着します。彼らが目にしたのは、驚くべき光景でした。その惑星は、言葉を話し、文明的な社会を築いた猿たちによって支配されており、人間は知性の低い原始的な動物として扱われ、猿の狩りの対象となっていたのです。「知性の退化」「支配の逆転」をキーワードとして描かれます。そして、主人公のテイラーが、最終的に辿り着いた惑星が核戦争などで荒廃した遥か未来の「地球」であったと知る衝撃的なラストシーンは、人類が核兵器などの大量破壊兵器によって自滅したことを示唆しています。人類が持つ暴力性や争いによって、文明を自ら滅ぼしてしまうという痛烈な警鐘でした。
これは現実と重なるようにも見えます。 映画の「核戦争後の荒廃した地球」と、森林破壊と少子高齢化・過疎化による「手入れされず放棄された里山」が重なります。人間の「無関心」が荒廃を招いた点が共通点なのかもしれません。また、人間が引き起こした温暖化が、生態系に異変を及ぼし、クマの食料不足と人里への進出を招き、映画の核戦争と同じく「人類への逆襲」となっているようにも感じたりします。
映画『グリズリー』が示す「人間のエゴと初動の遅れ」
自然豊かなアメリカの国立公園で、キャンプ中の若い女性キャンパーが突如、何者かに襲われ惨殺される事件が発生します。公園の保安官チーフであるケリーは捜査を開始します。動物学者のスコットと共に調査を進めるうちに、この連続殺人の犯人が、通常のクマとは比べ物にならないほど巨大で獰猛なハイイログマ(グリズリー)であると断定します。スコットは、そのグリズリーが人を獲物として認識し、積極的に襲っていることを警告します。ケリーは事態を重く見て、人々の安全のために公園の即時閉鎖を管理責任者であるキットリッジに要求します。しかし、キットリッジは観光収入や公園のイメージ低下を恐れ、この警告に耳を貸さず、閉鎖を拒否します。その結果、巨大グリズリーの襲撃は止まらず、公園内の訪問客やレンジャーの仲間など、次々と犠牲者が増えていきます。
この映画では、「自然の脅威の軽視」「利益優先の判断による被害拡大」「専門家の警告無視」などが描かれます。これは、人間が未知の脅威を正しく認識し、適切な行動をとることの難しさを示唆します。
映画「グリズリー」は、自然の力に対する謙虚さを持つこと、そして、経済的な理由や無知によって危険を軽視・隠蔽することの愚かさを訴える作品になっています。

現実においても、経済活動や生活維持のために、クマの脅威を過小評価したりしていることはないでしょうか。
クマとの陣取り合戦で人間が負け始めている 激増するクマ被害への処方箋(兵庫県立大学教授・横山真弓):時事ドットコム
学者や現場のハンターの「個体数管理の必要性」や「異常個体の増加」への訴えが、行政手続きや感情論、予算不足などによって、迅速かつ効果的な対策に結びついていないのが現実の様にも見えます。専門家の警告を無視せずに、真摯に耳を傾けるべきではないでしょうか。
「静かな文明の危機」としてのクマ問題
クマ被害は単なる「獣害」ではなく、「人間の衰退」「環境破壊」「組織のエゴ」という現代社会の複合的な問題が具現化したものなのかもしれません。
専門家やハンターと行政が連携し、感情論ではなく科学的根拠に基づいた管理(個体数調整など)を迅速に行う必要性がありそうです。「森の側が勝手に荒廃した」のではなく、「人間が放棄した」という自覚を持ち、野生動物との距離感を見直す意識改革も求められそうです。また、地域社会の再構築も必要なのかもしれません。 里山管理や共同体の知恵を継承していくことの重要性を見直すときではないでしょうか。
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私たちは、その行動によって『クマの惑星』の悲劇的な結末は避けられるのでしょうか?
「参考文書」
紅葉シーズン、クマに注意 餌凶作、死者は最多9人―自治体「ラジオ携帯、朝夕避けて」:時事ドットコム

