イラン戦争を端にした日本のエネルギー危機の裏側で、ある「不自然な動き」が加速しています。それは、あれほど「脱炭素」を掲げていたはずの政府が、ひっそりと石炭火力発電の稼働率引き上げています。
政府が石炭火力の稼働率引き上げ、1年限定 ホルムズ経由のLNG1割節約 | ロイター
政府や既存の電力会社は、これを「エネルギー安全保障のため」「国民への安定供給のため」という、反論しがたい「錦の御旗」を掲げて正当化します。しかし、ここで私たちは立ち止まって考える必要があります。
「安定」とは、本当にこれしかないのだろうか?なぜ石炭なのか?
いま、世界に目を向ければ、イーロン・マスク率いるテスラがオーストラリアで証明したように、**「巨大な発電所を作らず、国民の屋根の上にある太陽光と蓄電池をネットワーク化する」**という、全く新しい、そして極めて合理的な選択肢が現実のものとなっています。
この「建設費ゼロ、燃料費ゼロ」のインフラが、なぜ日本では「夢物語」として扱われ、結果として古びた石炭火力への回帰を許しているのか。その違和感の正体を探っていくと、日本の「新しい資本主義」の具現化を阻む、強固な制度の壁が見えてきます。
比較:テスラにできて、日本にできない「決定的な差」
なぜテスラは南オーストラリア州で成功し、日本ではオリックスのような大手ですら家庭向けVPP(仮想発電所)から距離を置かざるを得なかったのか。その差は、エンジニアの技術力ではなく、**「誰のために、どのような市場を設計したか」**という一点に集約されます。
南オーストラリア州の「破壊的具現化」
テスラが取り組んだプロジェクトは、単なる蓄電池の販売ではありませんでした。5万世帯の屋根上太陽光と蓄電池をソフトウェアでつなぎ、**「一つの巨大な発電所」**として機能させたのです。
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結果: 従来、停電を防ぐために古い火力発電所を無理に稼働させて支払っていた「調整力」のコストを、テスラは約10分の1にまで削減しました。
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恩恵の分配: このシステムは、電力会社を太らせるためではなく、参加した家庭の電気代を下げ、地域全体のエネルギーコストを抑えるために機能しています。まさに「建設費ゼロ」のインフラが、既存の巨大インフラをコストで圧倒した瞬間でした。

日本の「見せかけのVPP」と戦略転換の理由
翻って日本はどうでしょうか。当初、オリックスや多くのスタートアップがこの「民主的なエネルギー網」に挑もうとしました。しかし、彼らが直面したのは、あまりに緻密に設計された**「参入障壁」**でした。
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「理想」を捨てた大手: 現在、オリックスなどが注力しているのは、家庭の屋根を束ねることではなく、広大な土地に巨大な蓄電池を並べる「系統用蓄電池(蓄電所)」ビジネスです。これは結局のところ、既存の電力システムに「巨大な箱」として適応する、中央集権的な装置産業への先祖返りに他なりません。
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イノベーションの窒息: 家庭の小さな電力を束ねて市場で売ろうとしても、日本の電力取引ルールはあまりに複雑で、事務コストだけで利益が吹き飛ぶように設計されています。
テスラが証明したのは、「市民の資源」を活かす合理性でした。一方で日本が選択しているのは、どれほど非効率であっても「管理しやすい巨大な装置」を維持し続ける道です。この**「個人の力をシステムに取り込もうとしない姿勢」**こそが、テスラにできて日本にできない決定的な差の正体ではないでしょうか。
「制度」という名の見えない壁
「100万世帯の屋根を束ねれば、建設費ゼロで原発4基分の力が手に入る」。飯田哲也氏はこう指摘します。
100万世帯の屋根上太陽光を束ねれば4GW──原発4基分。建設費ゼロ。これがVPP(仮想発電所)の実力だ。テスラは南オーストラリアで調整力コストを10分の1に削減した。日本でこれが進まない理由は技術ではない。制度だ。今週のTheLetter配信。
— IIDA Tetsunari 飯田哲也 (@iidatetsunari) 2026年4月20日
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この圧倒的なポテンシャルが、なぜ日本では「絵に描いた餅」にされてしまうのか。そこには、既存の秩序を守るために張り巡らされた、極めて巧妙な制度の罠が存在します。
「容量市場」という名の延命装置
いま、日本の電力制度で最も「違和感」を覚えるのが**「容量市場」の仕組みです。これは将来の供給力を確保するためですが、その資金の多くは老朽化した火力発電所の維持**に充てられています。
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逆転の論理: 本来なら引退すべき非効率な電源を税金に近い拠出金で延命させる一方で、VPPのような「需要側で調整する新しい力」には、参入のハードルを極端に高く設定しています。これでは、新しい芽が育つ前に、古い大樹を維持するコストで土壌が枯れてしまいます。
形骸化した「発送電分離」
2020年に実施された発送電分離によって、送電網は中立になったはずでした。しかし実態はどうでしょうか。
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見えない門番: 送電網(グリッド)を管理するのは、今も旧一般電気事業者(東京電力などの10社)の子会社です。分散型のVPPがこのグリッドに繋がろうとすれば、「空き容量がない」「高額な工事負担金が必要」といった、客観的な検証が難しい理由で、事実上の拒絶や制限を受けるケースが後を絶ちません。
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情報の非対称性: 送電網のリアルタイムな空き状況や運用ルールは、依然として「ブラックボックス」の中にあり、新興プレイヤーが公平に戦える土俵は整っていないのです。
「建設費ゼロ」を拒む、鉄の三角形
なぜ政府は、飯田氏が説く「建設費ゼロ」のインフラよりも、巨額の予算を伴う大型発電所の維持や新設を優先するのか。 そこには、**「投資(予算)=利権=安定」という、政・官・財の「鉄の三角形」に都合の良い力学が働いています。国民一人ひとりがエネルギーの主役になる「分散型ネットワーク」は、中央で利権を管理したい側にとっては、あまりに「制御不能で、旨味のない」**存在のようです。
この「見えない壁(インビジブル・ウォール)」は、技術的な限界ではありません。**「誰がエネルギーの主導権を握るべきか」**という政治的選択の結果、意図的に積み上げられた壁になっています。
「安定供給」を解体する
私たちがニュースでよく目にする「安定供給」という言葉。それは一見、私たちの生活を守るための誠実な誓いのように聞こえます。しかし、GX(グリーン・トランスフォーメーション)やVPP(仮想発電所)の文脈でこの言葉が使われるとき、そこには巧妙な**「目的のすり替え」**が潜んでいます。
「国民の生活」か「既存企業の財務」か
政府が掲げる安定供給のロジックは、常に「既存の大規模電源(火力・原発)を維持すること」とセットになっています。しかし、テスラの事例が示した通り、いまや安定供給は「巨大な発電所」がなくても、分散したリソースを高度に制御することで、より安価に、より強靭に実現できることが証明されています。 それにもかかわらず、なぜ石炭火力への回帰や原発の再稼働が「唯一の道」のように語られるのでしょうか。
それは、守ろうとしている「安定」が、国民の電気代の廉価や安定ではなく、**「多額の設備投資を抱える既存電力会社の財務基盤の安定」**だからではないでしょうか。
「リスク」という名の思考停止
「再エネやVPPは天候に左右されるから不安定だ」という主張も、一面的な事実に過ぎません。
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技術の無視: デジタル技術(DX)を駆使すれば、数百万台の蓄電池をミリ秒単位で制御し、電力網のバランスを保つことは十分に可能です。
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意図的な思考停止: 「不安定だからできない」と言うのは、それを可能にするための制度改革(前章で述べた壁の撤去)を行いたくないがゆえの、意図的な思考停止に他なりません。
自民党保守政治が恐れる「電力の民主化」
飯田哲也氏が提唱する「建設費ゼロの原発4基分」のVPPが普及した世界を想像してみてください。そこでは、消費者はもはや一方的に電気を買うだけの存在ではなく、自ら発電し、調整力を提供し、収益を得る「主役」になります。
しかし、この**「電力の民主化」は、中央集権的な管理体制と、そこから生まれる利権を基盤とする自民党保守政治(既得権益の保護)の枠組みとは、極めて相性が悪いのです。彼らにとっての「安定」とは、国民が自立することではなく、「既存のシステムに従属し続けてくれること」**を意味しているのかもしれません。
「安定供給」という言葉は、いまやイノベーションを拒み、古い構造を延命させるための「防壁」として機能しているようです。私たちは、その言葉が発せられるとき、守られているのは私たちの生活なのか、それとも誰かの特権なのかを厳しく見極める必要があります。
まとめ:今こそ「電力の民主化」を
私たちは今、大きな岐路に立たされています。ホルムズ海峡の緊張という「外圧」を言い訳にして、古びた石炭火力や中央集権的なエネルギー体制へとしがみつき続けるのか。それとも、この危機を「自立した分散型ネットワーク」へと移行するための決定的なチャンスに変えるのか。
「外圧」を言い訳にしない構想力を
かつてのオイルショックが日本の省エネ技術を世界一に押し上げたように、現在のエネルギー危機もまた、新しい経済の形をつくる「バネ」にできるはずです。 しかし、そのためには「石炭回帰」という安易な後退ではなく、飯田哲也氏が説くような**「屋根上の資源」を解放する知的な構想力**が求められます。100万世帯を束ねるVPPは、もはや空想ではありません。テスラが豪州で示した通り、それは「今ここにある、最も合理的な解決策」ではないでしょうか。
政治に求められる「つまらないこだわり」の破棄
日本のGX(グリーン・トランスフォーメーション)を成功させるために必要なのは、これ以上の巨額予算でも、画期的な新発明でもありません。 既存の電力システムを維持するために積み上げられた**「つまらない制度の壁」を、政治の力で取り壊すこと**です。「公平性」や「安定」という言葉で既得権益を包み隠すのをやめ、国民一人ひとりがエネルギーの担い手となる「電力の民主化」を、国の成長戦略のど真ん中に据えるべきです。
私たちが手にする「新しい資本主義」の姿
ウィッタカー氏が描いた「人間中心の資本主義」の具現化とは、一部の巨大企業がエネルギーを独占する社会ではなく、私たちの生活空間そのものがエネルギーを生み出し、支え合うレジリエンス(強靭性)の高い社会のことです。
「建設費ゼロの原発4基分」というポテンシャルをドブに捨てるのか、それとも日本の新しい力として解き放つのか。 その選択は、政府を私たちがどれだけ鋭く監視し続けられるかにかかっています。
エネルギーの主権を私たちの手に取り戻すこと。それこそが、この不確実な時代を生き抜くための、真の「安定」への道のはずです。

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