サッカー女子日本代表の熊谷紗希氏が、選抜された小学6年生の女子選手4名をイギリス・ロンドンへ10日間派遣するプログラムを始動させた。
熊谷紗希、次世代のなでしこ育成へ「ロンドン派遣プログラム」 小6女子に「世界に触れ、将来の選択肢を」:東京新聞デジタル
子どもたちは名門アーセナルの育成組織に加わり、同年代の現地選手とトレーニングを重ね、ホームステイを通じて異文化での生活を体験したという。
熊谷氏氏自身も20歳で海を渡り、欧州で長く戦ってきた経験を持つ。「新しい環境に飛び込むのは簡単でなく、苦しかったときもあった。でもその経験が自分の殻を破り、新しい挑戦につながった」と語っている。
情報として知る海外と体感する海外
私たちは世界で今、何が起きているかを知識として「知って」はいる。インターネット、AIが普及した現代の日本において、海外のニュースやデータ、あるいは最新のトレンドはリアルタイムで手に入るからだ。しかし、言葉も常識も通じない環境に身を置き、葛藤しながら意思を伝えるような「身体感覚」を伴う海外を、私たちはどれだけ知っているのだろうか。
居心地の良い同質的な空気や、見知った関係性の中に留まっていては、人間は無意識のうちに既存のルールの枠内で「微調整」を繰り返すことに終始してしまう。
(この本の書評は下記に記します。)
前提の異なる人々が「共通の目的」で繋がる力強さ
例えば東南アジアなどの活気ある現場に目を向けると、そこには全く異なるバックグラウンドや価値観を持つ人々が日常的に行き交っている。彼らを繋いでいるのは「察し合い」や感情的な一体感ではなく、「共通の目的(全体のスループット)」を達成するために、明確なルールと契約のもとで協働する圧倒的な力強さだ。
異なる前提を持つ存在を警戒し、同質性の維持を最優先しようとする姿勢とは、実に対照的な景色がそこにはある。
☆
各種世界ランキングの下落や諸外国からの遅れが指摘されるたび、国内では様々な対策や議論が繰り返されるが、トレンドを逆転させることができずにいる。真に不足しているのは技術や知識の差ではなく、「自らが信じ切っている前提(OS)を疑い、書き換える体験」そのものなのかもしれない。
「遅れ」に対する本当の処方箋
12歳という多感な時期にアウェーの空気を吸った子どもたちが手に入れるのは、技術だけでなく「日本という単一のルールに縛られず、世界を自分の選択肢として捉える視座」だ。
既存の安全な枠組みの中で正解を探し続けるのか、それとも自らアウェーに飛び出し、新しい選択肢を切り拓いていくのか。彼女たちがロンドンで経験した「苦しさと殻を破る感覚」は、いまの私たちに問いを突きつけているのだろう。
(『本当に生きた日』は、男女雇用機会均等法が公布された昭和末期の日本を舞台に、女性の社会進出と人生の充実をテーマに描かれた作品です。「男女雇用機会均等法」が施行された当時(昭和61年)の社会全体の意識の変化がリアルに反映されています。二人の女性。家庭を守る専業主婦の素子と、社会でサクセスを求めるルミという、対照的な女性の生き方を通じて、「ワークライフバランス」の難しさを提起しています。)
あとがき
東南アジア シンガポールとマレーシアに10年あまり駐在し、異なる前提を持つ人々と共通の目的に向かって協働する力強さを体感してきた。熊谷氏の「アウェー体験」プログラムには共感することが多い。そこに内向きな停滞から抜け出すためのヒントがあるのではないかと感じた。
(シンガポール駐在時に現地の紀伊國屋書店で購入した本です。その土地に関連する本が購入できるのは現地の書店ならでは楽しみでした。怪傑ハリマオは知っていましたが、それが実在の人物であったことはこの本と出会って初めて知りました。)

☆『プリンシプルのない日本』の書評
戦後の復興期に活躍した白洲次郎のエッセイ。白洲は「プリンシプル」を「原則」や「主義・信条」と定義し、欧米人と対等に渡り合うには、すべての言動の根底に一貫した「原則(プリンシプル)」が必要不可欠であると説きます。白洲はこの本で、日本人を以下のように批判します。
- 他力本願の精神:自分の足で立とうとしない「乞食根性」を厳しく批判しました。
- 主体性の欠如:ただ同調するだけの「イエス・マン」に猛省を促しています。
- 八方美人的な態度:誰にでも良い顔をして、自らの信念を曲げる姿勢を咎めました。
- 借り物の民主主義:占領ボケから脱却し、主体的に現実を直視すべきだと主張しています。
白洲は、10代後半から20代後半までの多感な時期をイギリスで過ごしています。ケンブリッジ大学で中世史などを学び、「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」や「ジェントルマンの素養」を身につけたといわれます。この経験を活かしての直言だったのでしょう。
- 知的な喧嘩の作法:英国社会では、自分の意見(プリンシプル)を持たない者は対等な人間として扱われません。彼は議論を戦わせ、自立した個人として生きる術を学びました。
- 客観的な視点:外から日本を見る視点を得たことで、日本の良い部分と、逆に国際社会で通用しない「甘えの構造」を冷徹に見抜く目が養われたうようです。
帰国後、吉田茂首相に乞われ、GHQとの交渉に向かうことになります。
- マッカーサーも認めた一貫性:戦後、終戦連絡事務局の次長としてGHQとタフな交渉を行った際、次郎は一歩も引かない態度を貫きました。これは英国で培った「筋を通す(プリンシプルを持つ)」姿勢があったからといわれます。
次郎が「プリンシプルのない日本」と嘆いた背景には、「イギリスでは誰もが自分の行動に責任と原則を持っていたのに、なぜ日本人は情勢や他人に流されてばかりなのか」という、海外を深く知る男ゆえのもどかしさと強い危機感があったといいます。




















