Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

「無駄な戦争はやめてもらいたい」と呼びかける柳井正氏 —— 醜い政治と「サステナビリティ」の危機

「あまりにも政治が醜い」。 ファーストリテイリングの柳井正氏が2026年4月の決算会見で発したこの言葉は、単なる政治批判ではありません。

ファーストリテイリング柳井正氏「世界経済、戦争続くが分断はされず」 - 日本経済新聞

それは、自由な経済活動と個人の自立を支えるべき「統治」が、その本来の役割を放棄していることへの、痛切な悲鳴です。

私たちが求めている「サステナビリティ(持続可能性)」を希求する社会。その基盤を、いま政治が内側から腐らせています。

悲鳴を上げる「未来のサステナビリティ」

国家が「未来」を育てるべき予算を削り、古い利権や目先の軍備という「過去」に投じる姿は、社会の持続可能性を自ら断ち切る行為に他なりません。 柳井氏が「民間企業はもっと悲鳴を上げないといけない」と語ったのは、教育や生活という「土壌」が荒れ果てれば、いかなる経済活動も、自由な社会も継続できないという根源的な危機感の表れです。

「分断」という不作為と「恥」の欠如

政治が地政学リスクを煽り、世界を分断しようとする一方で、柳井氏は「世界経済は分断されていない」と喝破しました。 「身内の論理」で市場を操るトランプ大統領のインサイダー疑惑や、組織のメンツで不祥事を隠蔽する東大病院の病理。これらは全て、**「公(パブリック)」**に対する誠実さを失い、目先の利益と「克・伐・怨・欲」に溺れた結果です。

邦に道なきに穀(こく)するは、恥なり。(「論語 憲問第十四」1)

『論語』が説くこの「恥」の感覚をリーダーたちが失ったとき、法の支配は形骸化し、社会の信頼関係という不可視のインフラは崩壊します。信頼のない社会に、サステナビリティは宿りません。

「当たり前」を回復する——自立した個人の力

柳井氏は、国家間ではなく「個人や民間企業が自律して社会に影響を与える重要性」を説いています。 政治が醜く、統治が機能を失っている今こそ、私たちは「政治任せ」から脱却し、自らの価値観で社会を監査しなければなりません。

  • 歪んだ予算配分に異議を唱えること。

  • 不正を再生産する組織風土を許さないこと。

  • 利権の「身内の論理」よりも、普遍的な「倫理」を上位に置くこと。


まとめ: 恥を知る心が、持続可能な未来を創る

私たちが目指すサステナブルな社会とは、単に環境に配慮することだけを指すのではありません。 それは、リーダーが「恥」を道標に自らを律し、次世代が報われ、自由なビジネスが境界を越えて人々を繋ぎ続ける社会です。

「ごく当たり前」が回復される日は、政治家が変わるのを待って訪れるのではありません。 私たちが柳井氏のように「政治は醜い」と冷徹に現実を見つめ、同時に「経済と自由は分断させない」という強い意志を持って、日々の営みの中に倫理を取り戻していく。その一歩一歩が、危機に瀕した民主主義と法の支配、そして私たちの自由を救い出す唯一の道なのです。

「サステナビリティ」とは、私たちが次世代に「恥ずかしくない背中」を見せ続けられるかという、極めて倫理的な問いそのものなのですから。