Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

無謀な登山の警鐘になって欲しい「富士山の動画生配信」事故

 

 登山の遭難事故のニュースはやはり気になる。

 今は本格的な山に登ってはいないが、登山愛好家としてはどうしても気になってしまう。特に悪天候時や冬山の無謀な登山や行動。

  

business.nikkei.com

 

 日経ビジネスを記事を読むと、

「カイロ持ってくればよかった」と後悔しているくらいなので、TEDZUさんは冬山登山に必要な装備をきちんとしていなかったとみられる。動画の会話からは、フリース地のジャケット、デニムのズボン、軽登山靴と、だいぶ軽装であったこともうかがえる。滑り止め防止のアイゼンや、氷雪の中で足場を構築する際に必要なピッケルも持っていなかったようだ。

と書かれていた。

 

 言語道断。

 

 かなり前のことだが、11月に八ヶ岳硫黄岳に登ったことがある。もちろん冬山装備して登った。この季節はまだ下界では温かく感じることもあるが、山の上は間違いなく冬山だ。登りはじめは汗をかくくらい暖かでも、ある境域を越えると一気に冬山になる。そのとき、かいた汗が一気に冷えて辛い思いをした。

 

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2月の鳳凰三山薬師岳から北岳間ノ岳方面を望む

強風に耐えるため内股になっている

  高校生のときに、厳冬期2月に南アルプス鳳凰三山の縦走を計画した。初日は暖かな陽気で、夜叉神峠から薬師小屋までだった。夜から急激に冷え、小屋の中にツエルトを張って寝た。翌日は、観音岳を越え、地蔵岳から青木鉱泉に行く予定だった。翌朝は、吹雪、観音岳山頂につく頃にはすっかりホワイトアウトの状態で危ないと感じた。地蔵岳への未練はあったが、勇気をもって撤退した。

 

その年の年末に逗子開成高校が北アルプス八方尾根で遭難事故をおこした。今でも鮮明に覚えている。当時、冬の時期に南アルプス八ヶ岳を登ることが山岳部の習慣になっていた。さすがに、富士山や北アルプスは危険と思って避けていたが、ショッキングだった。

 

www.sankei.com

 

 この遭難事故以来、わが高校山岳部では、危険を感じればいち早く撤退するようになったと思う。11月か12月だったと思うが、神奈川県大山の三峰尾根登山中、雨がやや激しくなってきたときも、途中まで登っていたが撤退した。いくら低山と言えども、この季節であれば高度が増せば危険になる。

 

 山での過信は禁物である。常に危険が隣り合わせであることを忘れてはいけない。そう意味でも、遭難事故は明日のわが身と思ってきちんと目を通すべきだと思う。

 

www3.nhk.or.jp

 

 危険ということであれば、火山もそのひとつかもしれない。考えてみれば、高校山岳部では活火山には登っていなかった。リスクを考えてのことと言えないかもしれないが、無意識に避けていたような気がする。

 
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 大学受験に失敗し一浪を決め、その3月に単独で西丹沢を縦走しようと思った。初日は山中湖から菰釣山避難小屋まで。雪の尾根道歩き、もちろん冬山装備はしている。小屋で寝ようと思ってランタンを消したら何やら物音が。ヘッドライトをつけると物音は止む。どうやらネズミのようだ。出していた食料をザックにしまったら物音は静まったと思ったのは束の間、今後は外から物音がする。3月と言えどもまだ冬である。クマは冬眠しているはずと思いつつも落ち着けず眠れない。

 翌朝、進むべき道に動物の足跡がある。行けども行けども足跡はなくならない。畦が丸避難小屋についた。これから進もうとする道にまだ足跡が続く。不安を抱えたままはよくないと思い、畦が丸から下山することにした。今になれば笑い話だが。

 おかげで、大山三峰と西丹沢 加入道山~檜洞丸が空白のままになっている。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございます。