Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

「禍を転じて福と為す」 SDGsと世界ハピネスランキング

 

 政府の月例経済報告があったという。

新型コロナウイルス感染症の影響により、急速な悪化が続いており、極めて厳しい状況にある」。コロナショックということでなんであろう。

 こうしたことが予測されていたのだろうから、空前絶後補正予算という流れだったのだろうけれども、1次と2次の合計で233兆円になる達する補正予算はほんとうに必要なんだろうか。将来世代に禍根を残すだけにはなりはしないかと心配になる。

来年度はコロナ後の景気回復を確かなものにすることが「至上命題」になり、歳出は緩みっぱなしにならざるを得ない。一方、税収の回復はおぼつかなく、消費減税の影もちらつく」と指摘。

「日銀による国債の無制限購入は続くだろうし、長期金利のゼロ%目標も長引くのではないか」とみている。 (出所:ロイター)

 

jp.reuters.com

 

 コロナ経済対策という「大義」を振りかざした先はどうなるのだろうか。足元も将来も、確実に経済が回復して人々の「幸福」につながるのだろうか。いつもの繰り返しのバラマキなのではと心配になる。

 

 

 

 今、人々はどれだけ幸福を感じているのだろうか。

 毎年恒例で、国連の関係機関が「世界幸福度報告書(World Hapiness Report)」を発行している。その中では「世界幸福度ランキング(ハピネスランキング)」も発表され、日本の幸福度を相対的に知ることができる。

 残念なことではあるが、日本は毎年順位を下げ、今年は62位、昨年の58位からまた一歩後退している。

 ランキングの首位は3年連続で北欧フィンランド

Sustainable Japanによれば、世界幸福度ランキングは、対象国で実施した世論調査をもとに、自分の幸福度が0から10の10段階で自己評価した主観の平均だそうだ。

 その結果を、「一人当たりGDP」「健康的な平均寿命」「困ったときに助けてくれる友達・親族はいるかとの二元回答」「人生で何をするか選択の自由があるかとの二元回答」「GDPにおける寄付実施者の度合い」「政府機関に腐敗は萬栄しているかの二元回答「昨日楽しかったかどうかの自己認知の度合い」「昨日楽しくなかったかの自己認知の度合い」の6つの説明変数で回帰分析し、寄与度も分析したという。

 

日本で評価が低い項目が「寛容(寛大)さ」と「主観満足度」。

寛容(寛大)さは1ヶ月以内に寄付をしたかが設問になっており、寄付文化の薄い日本では加点しにくい。

一方主観満足度は、日本は非常に低い。こちらは、人生評価において楽しいか、辛いかという主観質問への回答。日本は、主観レベルが非常に低いことがわかる。 (出所:Sustainable Japan)

 

sustainablejapan.jp

  

 主観的な人生評価が低いというのは、少しばかりショックなデータ。Manegyは「寛容さ」を、東洋経済オンラインは「自由度」を解説していくれている。

 

 Manegyによれば、「寛容(寛大)さ」は、ボランティア活動への貢献度がランキングの判断材料になり、積極的にボランティア活動を行っている国ほど、主観的な満足度が高くなるという。

日本社会では欧米ほどボランティア活動が根付いていません。他者のために奉仕することが幸福感につながるのであれば、ボランティア活動の機会が少ないことが「寛容(寛大)さ」を低下させる要因になっているのかもしれません。 (出所:Manegy)

 

www.manegy.com

 

 東洋経済オンラインは、「自分が職場の中で、自由に働き方を選択できないことや、表現の自由に対する評価が低いことなど、社会全体の自由度が低いことが大きな要因だと指摘があるという。

 生活を自分で管理できる機会が与えられて初めて、人は幸せを感じることができる。所得が低くても、自分で自分の生活を管理できる道があれば、やはり幸せだと思えるのです。自分の行動を自分で決めるという自由度についても満足度を上げる要因になっています。(出所:東洋経済オンライン)

 

toyokeizai.net

 

 

 

 この種のレポートでは、必ずといっていいほど、北欧諸国が上位にならぶ。この国連のSDSNが発行した「World Hapiness Report(原題)」の国別ランキングデータを見ると確かに、「freedom to make life choices(選択の自由)」と「generosity(寛大さ、寛容さ)」が北欧諸国に比べて低いようだ。

 北欧諸国の国ごとの政策によるものが背景にあるのかもしれないが、それだけだけということもないのかもしれない。

 Manegyは、「日本社会では欧米ほどボランティア活動が根付いていません」と指摘するが、果てしてそうなのだろうか。意識、理解の差みたいなものはありはしないだろうか。

 

 知恵蔵によれば、ボランティアとは、「単なる無報酬の奉仕活動という意味ではなく、自己の自発的・主体的な意思によって社会問題の解決や必要とされている活動を理解・共感し、勤労とは別に労働力、技術、知識を提供すること

「自由意思」を意味するラテン語のボランタスが語源。

 近年、子どもの教育分野でボランティアの義務化や入試の評価に加点することが唱えられているが、その結果、義務的・功利的にとらえられることによってボランティアの本質をゆがめ、長期的に見ればその普及と活性を阻害すると危惧する議論もある」という。

 

 シンプルにとらえれば、自身の「自由意志」で社会問題の解決に役立つことをしていれば、それもまた「ボランティア」と言えるのではないか。誰か他者のためになっているのなら、自覚的にそれに気づくということが大切なことなのかもしれない。

 それによって、また自身の満足にもつながったりはしないだろうか。ボランティア活動へ参加するだけがボランティアということではないと思う。

 

 「搾取する」より「与える」方が気持ちが落ち着く。

「搾取する」には理由が必要だが、「与える」ことにさして理由はいらない。プレゼントを贈るようなものだ。

「与えられる」ことばかりを考えていれば、不平不満が募るが、「与える」ことで苛立ちを募らせる人はいないだろう。

 寛大さが寛容さにも繋がる。

 コロナでも多くの支援を見かける。支援に参加する人は満足度が高いのかもしれない。

 こうした支援活動が日常の仕事でも当たり前になり、自覚できれば、「主観的な満足度」がもっとあがるのではないか思ったりする。

  

worldhappiness.report

 

 

 

 今年2020年は、SDGsの目標達成のための「行動の10年」のはじまりと言われる。

 政府SDGs推進本部も、SDGsアクションプラン20202030年の目標達成に向けた「行動の10年」の始まり~」というレポートを発行、官邸公式ページに掲載している。

 

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(資料出所:官邸公式ページ)

 

 この内容が、今生じているコロナ問題を考慮し見直されると何か変化が起きるのかもしれない。

 閣議決定された暫定予算のひとつひとつがこのSDGsに紐づけされ、その「お金」を使う人たちもSDGs活動に参加しているとの自覚になり、社会課題解決に貢献しているとの意識につなげていくことはことできないだろうか。

 国連SDSNが発行したレポートもSDGsと幸福度の関連性を指摘している。

 

禍を転じて福と為す

 

世界最大を誇張するより、世界一の幸せにつながるようなポジティブな言葉を散りばめれば、大きな変化が生まれると思ったりする。

 

東京と北九州で、クラスターが発生したようだ。まだまだ油断できないようだ。 

 

 

「関連文書」

dsupplying.hatenablog.com

 

「参考文書」

jp.reuters.com

 

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