Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

【中立化するコロナ渦】情報化社会が痛みを伴わない禍いが生む

 

 穏やかな社会、安寧を願えば、コロナ渦の早期に収束に意識が向くが、流れてくるニュースを見れば、心をかき乱される。緊急事態宣言が延長されると、約1兆円の経済損失が生じると野村総合研究所が試算したという。失業者が増加するという試算もあるそうだ。ネガティブスパイラル、悪いときは悪いことが重なるのだろう。

 こうした試算も過去の実績からの推定なのだろうか。同じパターンを繰り返しては同じ結果になるとの警告として受け取ることにする。そう考えないと気が滅入りそうだ。

 

 

「情報化社会がもたらす苦しみの正体」との養老孟司先生の言葉が目にとまる。正体が招待に読めてしまった。

 情報は固定的なものだが、一方人間は元来変化している。情報化社会で自分を固定したものとの勘違いするから、その矛盾に苦しむという。

 情報は現実のある部分を切り取ったものでしかない。それに商業的な価値をつけようとすれば、尖った意見になったりするのだろう。現実的な解が求められているこのときに、そんなに尖がった意見は必要ないのかもしれない。

 社会や経済は生き物だけれども、意見はある時点の固定的なもの。現実はもっとダイナミックに変化し続けている。事象は連続的なものであって、尖り過ぎた意見は非連続に誘っているようなものなのかもしれない。そんなことを見聞きして明日はどうなるのかとくよくよ考えるよりは、明日はもっとよくなるように考えることのほうが自然なのだろう。

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 今ある社会像に養老先生はどんな見解がお持ちなのだろうか。少しばかり気になった。

 平成13年3月21日午餐会における先生の講演の要旨がある。古いが読んでみた。

 記事のタイトルは「情報化社会と若者」、先生はそのタイトルをつけた理由を、「若い人が情報化社会のなかで生きていくうえで、どうしたらいいのか、助言するなり、教育するなり、彼らに方向を示してあげなければいけない」と話される。そして、「そこで非常に重要になってくるのは、私どもが持っていて今の若い人は持っていない「環境」、それは「生の体験」だ」という。

www.gakushikai.or.jp

 午前中に私が出席した審議会の資料として『農政白書』の原稿が配布され、その中に、実体験のない子どもと、実体験のある子どもに聞いた道徳観の有無が、歴然ときれいに平行するというグラフが載っていました。つまり、生の体験がない子どもほど、自分のなかに社会的な道徳観がない。これは当たり前なのです。

情報処理というのはまったくのニュートラルで、先ほどから言っているように、情報とは基本的に石ころだからです。どんな殺人事件でも、文字になってしまえば、情報化された犯罪として、まったく中立化してしまいます。中立化された情報だけに浸かっていれば、そこには善悪も感情も何もありません

あるテレビ番組で、中学生が「なぜ人を殺してはいけないのか?」と質問したというのも、私はある意味では当然だろうと思います。しかし、中立化した情報の裏には、本来いろいろなことが付随しているものなのです。 (出所:「情報化社会と若者」養老孟司

 

 

 記事を読んで、このコロナ渦で感じる疑問の正体が少し理解できたように感じた。 

子どもはテレビゲームのボタンを苦もなく操り、それで世界が変わっていろいろなことが起こる。

あれは、大人社会に適応するために非常に重要な前段階とも見えます。だからテレビゲームの普及はべつにたいして問題ではありません。ただ、バランスのとれた人間として生きていこうとするならば、「生の体験」を同じように与えてやらなければいけない。それが私の持論です。 (出所:「情報化社会と若者」養老孟司

 「生の体験」、リアルな感情や痛み、善悪を自然の中で会得する必要があるというのだろうか。腑に落ちることが多々あった。中立化するコロナ渦、情報化社会が痛みを伴わない禍いを生んでいるのかもしれない。少し心に落ち着きを取り戻すことができたかもしれない。

 

読まない力 (PHP新書)

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 記事の中で、養老先生が森元会長について書かれている。おもわず納得でもあった。

おそらく今、森さんの悪口を書いている新聞記者の方々は、「自分ならあのくらい悪く言われたら辞任する」と思って書いているのだと思いますが、私の世代は辞めません。いつ一億玉砕が平和憲法万歳になるかわからないと思っていますから、いくら言われても全然こたえない。そういう時代なのだと思います。(出所:「情報化社会と若者」養老孟司

 養老先生と森元会長は同じ世代だということです。