Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

ウエルビーイングについて、他者を犠牲にして自己実現はできるのだろうか

 

 サステナビリティに、SDGs、ESG、そんな言葉が流行りとなりました。そうであるなら、少しは世の中も変化して、明るい兆しが見え始めてくれれば、よさそうなものです。しかし、どうも現実はそこから遠退いているように感じることさえあります。

世のため、人のためだと喜んで動くんですよ」、「今の若い人はボランティアが好きでしょう」と、解剖学者の養老孟司氏が、日経ビジネスでそう語っています。

 しかし、現実はこうした思いを阻害する力の方がはるかに大きいということでしょうか。

 高貴な言葉も流行りになれば、言葉の持つ意味が少しづつ変化し、胡散臭さが増し、みなが知らず知らずのうちに毒化されてしまうのかもしれません。

 

 

 「ウェルビーイング」もその仲間に加わることになってしまうのでしょうか。

ウェルビーイング」は、個人が幸せと感じている状態から、社会と経済のあり方を包括的に変化させるものへと広がっていますと、WEF 世界経済フォーラムはいいます。

日本のウェルビーイングのとらえ方 | 世界経済フォーラム

 それによれば、今日本は、ウェルビーイングを一層重視することで、経済的利益だけでなく人と地球を大切にする社会を築こうとしていますといいます。政府は「新しい資本主義」を主導し、成長のバランスを取りながら富の再分配を行うことを目指しているといいます。

 そのために、科学的根拠を重視し、幸福度をより科学的に測定また理解するための取り組みが始まっているそうです。その背景には、幸福度の自己申告で、日本は先進国の中で下位に位置していることがあるといいます。

内閣府科学技術・イノベーション事務局によるプロジェクト「Moonshot」型研究開発制度では、「2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現する」ことを目標に掲げています。

この取り組みでは、自殺やうつ病が深刻化する中、心のやすらぎや活力を高める技術やサービスの実現を目指し、精神的に豊かな状態を実現するための技術等の研究も加速しています。(出所:世界経済フォーラム

 このために、科学技術振興機構は、「ひとの幸福な状態を計測・評価する技術に基づく新サービスの創出」をテーマに、研究を行っているそうで、「経済の成長に最適化された社会」から、「個人に最適化された社会」への転換を目指しているといいます。

 

 

 世界経済フォーラム養老孟司氏同様、若者の意識が高まり、社会的な課題の解決に向けた社会活動や起業への積極的な動きがあるといいます。そして、「社会の幸福度を高めるためには、社会保障、健康、保健などの政策分野を、官民連携のもと若者を巻き込み、見直していくことが必至なのです」と指摘します。

 確かにそうなのかもしれませんし、それが理想なのかもしれませんが、現実とのギャップが大き過ぎるようにも感じます。

 政治家も企業経営者も「ウェルビーイング」を第一とした行動にはならず、「自分だけに最適化した社会」を作ろうとしているのではないかと思えてしまいます。

 養老孟司氏は、社会貢献する仕事というものの価値を、これまで全部下げてきたと指摘し、かつては偉かったのはずの医者、学校の先生、政治家が偉くなくなったといいます。かつては、政治家というのは、社会や国民のために働く人だったが、「今はそんなこと思ってないでしょうけどね、政治家本人たちも」といいます。

養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?:日経ビジネス電子版

 いつしか「社会への貢献」より、個人としての成功を第一にする社会が変わっていってしまった。

 そして、子どもたちもみな誰もが、「自分の生きる意味は自分のなかにある」と、暗黙のうちに思わされているようになっているといいます。それが常識だろうと....

自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場は、まさに共同体でしかない。『バカの壁』(新潮新書/2003年)

(出所:日経ビジネス

 自身と他者の関わり、自己実現のために、他者を犠牲にしたら、「世のために人のために」はならず、汲々とし、ぎすぎすとした生きにくい社会になってしまうのかもしれません。

 

 

日本では、物質的な豊かさのみを追い求めるのではなく、包括的なウェルビーイングを重視する姿勢やトレンドが、企業および組織の戦略やビジネスアイデアにも影響を与えています。住みやすく、安全な社会やコミュニティが好まれ、文化的な充実や美食へのあくなき探求など、数字に表れない価値が日本ではより重視されてきているのです。(出所:世界経済フォーラム

 こうした提言が時として、勘違いを生むのかもしれません。目的と手段を取り違えるようになったりするのかもしれません。「世のため人のため」にと共同体の中で努力し、その努力が成就すると、ご褒美としての豊かさがあるのではないでしょうか。

自己実現」、自己の内面的な成功も、個人が追い求める物資的豊かさも、「世のため人のため」になってこそ、享受できるものなのではないでしょうか。