Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

【良心なきサステナブル】グリーンランドに雨、止まらない地球温暖化

 

 電機会社で商品を作り、その普及に努め、それが社会の役に立てばと思っていましたが、あるとき、その商品が今後の社会では必要とされないと見切られるとショックでもあり、さて今後どうしようかと考えたりするものです。

 そんなとき、これからは「サステナブル」がキーになっていくのだろうと、仲間たちと話していました。イーロン・マスクに刺激されたことは否定できませんが。SDGsという言葉が登場する前のことです。

 その頃を思えば、サステナブルという言葉もずいぶん様変わりしていると感じます。その当時はサステナブルといっても振り向いてくれる人はごくわずかしかいませんでした。しかし、そのときよりも想定以上に状況は悪化し、求められることが変わり、またそれが明確になってきています。

 

サステナブル」を意識した商品づくりが当たり前になり、持続可能な社会を目指した動きが加速している。

 一方で、より長く地球と向き合っていくZ世代は、大人たちが掲げる「サステナブル」に対して違和感を覚えることもあるようだと、ABEMATIMESはいいます。

times.abema.tv

「いろんなところで『サステナブル』『サステナブル』とキーワードが聞かれることに対して、少し疲弊感を感じているということを『サステナブル疲れ』と呼んでいる」。(出所:ABEMATIMES)

 若者の消費行動を分析・マーケティングに活用するSEEDATAの牧島夢加氏がそう述べているそうです。学校や就活で頻繁にSDGsに触れているZ世代ならではの捉え方を分析しているといいます。

 記事を読んで多少違和感を覚えつつも、次の価値観に向けての過渡期なのかと感じたりします。

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 経済思想家の斎藤幸平大阪市大准教授と、江守正多国立環境研究所地球システム領域副領域長が47NEWSで対談されています。斎藤幸平氏はこう言います。

日本の経済界が熱心な持続可能な開発目標(SDGs)にしても、社会と経済の抜本的な変革が必要だとの根本にある精神を無視し、経済成長、金もうけの手段にしようという形での議論の盛り上がり方に懸念を抱いています。

真に必要とされる変革から人々の目をそらす手段になっています。本の中で「SDGsは大衆のアヘンだ」と批判したのはこのような意味です。本当に必要なのは、経済成長や技術革新そのものを問い直すことなのです。 (出所:47NEWS)

 若者たちが抱く懸念からしても、そうなのかもしれません。

nordot.ap

 一方、江守氏は、「日本を含め、多くの先進国で、経済成長をしながら、排出は減る、という事態が起こっていて、「デカップリング」が起こり始めています」と指摘、「排出が減れば、国内総生産(GDP)は増えていいし、人間は便利であり続けていい。昔の生活レベルに戻ろう、という議論は、人々に温暖化対策のために我慢を強いるものと受け止められ長続きしない」といいます。

 

現在の経済成長は、単に金をもうけてぜいたくするためというより、企業の生き残りと雇用の確保のために成長しなければならないと追い立てられているようにみえます

脱成長ではなくても、経済成長しながらも、もうこれ以上、自動車や大きな家はほしくない、という脱物質主義のような生き方があるのではないでしょうか。脱物質化はしても、サービスとか娯楽とかITとかでデカップリングをしながら経済成長をするというのは資本主義を前提としてもあり得るのではないかと思います。(出所:47NEWS)

  これに対し、「脱成長」を主張するの斎藤氏、脱資本主義を目指すべきで、そうしなければ、途上国の環境破壊と人権侵害はなくならないといいます。

  両者の意見も理解できるし、何かを達成しようと思えば、それを標榜すべきで、そうすれば目標に近づいていくのかもしれません。ただ、それでよいのかと多少疑問があります。商品づくりに携わっていたからかもしれません。

 脱炭素を達成するために、化石燃料に依存した社会構造から変えていく必要があります。そのために設備を刷新し、機械装置を作り、インフラを整えて気候変動に適応していかなければなりません。そればかりでなく個々人の日々の営みでの衣食住においても同じことがいえます。その普及を加速させようと思えば、またマーケティング手法に頼らざるを得ないのかもしれません。しかし、それが次の過剰を生み出す可能性があることを否定できません。行き過ぎたIT化、デジタル化は中国にみられるように不公平の拡大や様々歪みを生み出し、当局が規制することになってしまいました。

www.bloomberg.co.jp

 不足を補うことは成長の機会となりますが、それが適正を超え、過剰になると、その過剰分が歪んだ社会をなっていくきっかけになるのではないでしょうか。結局、「足るを知る」という良心、モラルを育まないと、いつまでも同じことを繰り返すように思えてなりません。

 脱○○主義のように社会構造を変えるよりも、モラルが求められているのではないでしょうか。過剰に集められた富を次の善行に投資することができれば、少しは持続可能な社会に近づいていくのかもしれません。しかし、その善、正邪を見極めるのは良心であり、モラルのはずです。

 グリーンランドの最高地点で雨が降ったといいます。

www.gizmodo.jp

 温暖化の影響が指摘され、今後の海面上昇が危惧されます。温暖化対策が求められています。危機迫る中、いわゆる「サステナブル」が何かに貢献することはあるのでしょうか。