人間とは効率性を求める生き物であるとつくづくそう思う。時間を節約したい、楽をしたいみたいなものが根底にあるのであろうか。でも、不思議なもので、ムダと思われるものが一向になくなる気配はない。効率性を追求すればするほど新たなムダが生まれてしまうのであろうか。まだまだ効率性の追求は続いていくのか。
一方で、今まで効率性を追求してきた結果、今になって代償というべきものが顕在化してきている。
地球温暖化、大量の不用品、ごみなどに始まる様々な環境破壊。
蓄積されてきた小さな問題が人間生活に重大な影響を及ぼす現象となって私たちの身に降り注いできている。
こうした問題に、いち早く取り組んできた国、自治体、そして、企業やスタートアップがある一方で、未だに知らん顔を続ける人たちもいる。
地球環境が蝕まれる一方で、その阻止に向けての行動も増えてきている。EUのように包括的に取り組む地域もあるが、まだ個別での行動が主体で、横の連携が弱いようだ。
ゼロ・ウェイスト事例 サンフランシスコと徳島 上勝町の取り組み
ゼロ・ウェイストは究極的な目標だ。両方の町とも2003年にゼロ・ウェイスト宣言をし、2020年までに目標の達成を目指した。17年におよぶ活動であるが、2020年を前にして目標未達が確実となってきているという。
ゼロ・ウェイスト宣言 (徳島 上勝町)
1. 地球を汚さないひとづくりに努めます!
2. ごみの再利用・再資源化を進め、2020年までに焼却・埋め立て処分をなくす最善の努力をします!
3. 地球環境をよくするため世界中に多くの仲間を作ります!
果たして失敗なのだろうか
このような活動があると、どうして定量的な指標に目が向く。活動成果を客観的に判断できるとの思いが働くからだろう。
上勝ではリサイクル率が80%に達するという。また、サンフランシスコでは、「ごみの80%をリサイクルや堆肥化、リユースするようになっていた」という。
素晴らしい活動成果ではないだろうか。しかし、公費を投入した活動であれば、そこに厳しい目があることは避け得ないし、必ず批判はあるものだ。だが、この活動を通して、廃棄処分されるごみの量が減った事実を消すことはできない。
今後に活かしていくために
この手の活動は、最初画期的に成果が表れた後、徐々に成果が上がり難くなる。80%を超えたということはそのステージに入ったのではないかと推測される。ここまできて陥りやすいミスは、成果が上がらないことを理由に止めてしまうことだ。
ほんとうの活動のゴールは明文化されていないかもしれないが、住民意識の変化と活動の定着化であるはず。どちらの町も目標を再設定して取り組みを継続するようであるが、これからが正念場であると思う。つぎのステップに向けての課題はそれぞれで異なるとは思うが、行政の限界も見えてきていると思う。
wiredの記事によれば、
「完全なごみゼロは実現できないでしょう。1市町村の一存では、(ごみの元となる製品の)製造方法や原材料を(リサイクルしやすいものなどへと)変更するような解決策をとることはできません。社会全体で取り組むべき問題なのです」(NPO法人「ゼロ・ウェイスト・アカデミー」坂野晶理事長)
結局のところ、都市はグローバル・サプライチェーンが許す範囲内で大志を抱けるだけなのだ。
「われわれが優先するのは、リサイクルよりもリデュースです」
と、ゼロ・ウェイスト・ヨーロッパのサイモンは言う。
サンフランシスコのメイシーも同じ考えを口にする。リデュースを優先すれば、都市はごみゼロに近づいていける。完全なごみゼロが実現することはないにしても。
ゼロ・ウェイストという産業があってもよいのではないかと個人的には思う。産業化するためには、横の連携を増やす必要がある。上勝の場合であれば、徳島市と連携して、同じような活動を徳島市内で起こせるかどうかだ。イノベーター気質を持って対応していくことも求められる。
サンフランシスコでは画期的な取り組みも始まっている
サンフランシスコ国際空港は、2021年までに世界初のゼロ・ウェイスト空港になるという目標を持っており、食事の持ち帰り用容器、調味料パック、ストロー、食器等の使い捨て製品をすでに禁止している。環境規制に対応するサプライヤーもおり、リサイクルや堆肥化によって埋め立て・焼却処分されるゴミの量を90%~ 削減する予定だ。(IDEAS FOR GOOD)
サンフランシスコ空港での動きを受けてかはわからないが、アルミボトルの水を提供するメーカも登場している。
人生はごみとの闘い
実家に戻ることが多くなって気づいたのはそのごみの多さ。ごみの整理、分別を続けていると人生はごみとの闘いと感じてしまう。年寄りの世帯で、総菜や冷凍食品を食べることが多くなっていることも一因ではあるが、それにしても、プラごみが多い。多方面で指摘があるようにやはり過剰梱包ではと思うようになった。
離れて暮らしていた時は意識はしていなかったが、自分がミニマルに近かったのかと実感する。必要以上に買うことはなかったし、とにかくごみを減らしたいという意識が強かった。自分の家族のことではあるけど、こんな近くに原因のひとつがあるとは思わなかった。家族をみて思うことだけど、今より少しごみを減らすことはできるのではないかと思う。そんな小さなことを、ひとりひとりが積み重ねることで、ごみの全体量を減らすことにつながるはずである。
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