海外赴任から戻ってきたときに、いくつか「えっ」と思うことがあった。ひとつが道路わきにポイ捨てされているごみの多さ、もうひとつは、街中のごみ箱の少なさ。帰任した当時は、「ごみ箱も少ないしポイ捨てする人がいるんだろうな」、「人手不足、担い手不足で清掃が間に合わないのだろう」と思ったままで、なおざりにしていた。
街の美観を保つというのが一番の理由なのかもしれないが、街中で清掃する作業員をよく見かけたし、街中あちこちにごみ箱があった。住んでいたシンガポールではそれが普通だった。ごみ箱があちこちにあったからかもしれないが、ごみであふれるごみ箱もあまり見たことがなかった。
97% ノルウェーのペットボトル回収率
ノルウェーでは、国をあげてデポジット制に取り組み、ペットボトルの回収率が97%だという。お店やガソリンスタンドにもペットボトル回収機があるそうだ。
回収率97%。ノルウェーはどうやってプラスチックをリサイクルしている?https://t.co/FQeWI2fvse
— FSUN国連支援交流協会 富士山静岡支部 (@F3kokuren) 2020年2月1日
「ごみ」って、何?
「ごみ」と聞くと、何か汚らしいものとイメージする。街中のごみ集積場に群がるカラス、埋立地にうずたかく積み上がる廃棄物、街の美観を損ねるからか、そうしたイメージが定着したのかもしれない。
ごみって何?と思うと、不要品であり、廃棄物ということなのであろうか。自分にとって、不要になれば、ごみになる。
100円のペットボトルの水も、必要なものは水だけかもしれないけど、容器のペットボトルも100円のうちのいくらかの価値をもっている。それを不要だからと捨ててしまえば、お金を捨てていると同じこととも言える。
そう思えば、ノルウェーのデポジット制はありがたいものだし、本来、そうあるべきって思ったりもする。
「ごみ」はお金、そして資源
使い捨て社会が定着して、ペットボトルを捨てることがあたりまえ、常識になってしまったけれど、お金(ペットボトル)を捨て、捨てたお金(ペットボトル)の処理のために、税金を払っていると思うと実にもったいない話だなと思う。
まして、それがサーマルリサイクルといってただ燃やされていると思うと少しばかり虚しくなるし、他国へ輸出しているならもったいないなと思う。
ごみはお金、資源ということが、ごく普通になれば、ごみの概念が変わらないだろうか。そうすることで、リサイクル事業がクリーンな産業になり、発展、進化すれば、ごみの捨て方にも変化を起こそうとの機運にもならないであろうか。
テロ対策やごみ箱の維持管理費削減を理由にごみ箱の撤去が進んだと聞く。 ごみ箱が、ただ不要物を捨てる箱であれば、その理由に納得ができないことはない。
ごみ箱が、「お金」「資源」を集める箱という概念が定着すれば、街のあちこちに設置しても良さそうな気がする。
「ごみ箱」という名前を止めた方がよいのかもしれない。「リサイクルボックス」にを変えたらどうであろうか。もちろん、デザインも変えて。そんな社会実験がやってもよそうなものだ。
まとめ
国や自治体が率先してノルウェー型のデポジット制を導入してくれれば、それに越したことはないけれど、飲料メーカが自らそんなことができないのだろうか。
サントリーはボトル to ボトルのリサイクルのために、自治体と連携し、一般家庭からでるペットボトルの確保に躍起と聞く。理由は、きれいに洗浄され、再利用しやすいことが理由らしい。
一方、米コカ・コーラは、積極的にごみ箱の設置の活動を続けていると聞く。コカ・コーラの目的も、サントリーと同じボトル to ボトルのリサイクルのためだろう。
その対応の違いに、残念だなと感じたりもする。
まずは、リサイクルボックスの設置を進めてはどうであろうか。そんな中に、デポジット制の回収機もある。そうすることで、ポイ捨てが減り、街の美観が保たれ、使い捨て社会から循環型経済への移行が加速しないだろうか。
国も「循環経済ビジョン」を策定し検討を始めたのだから。
『国際標準化機構(ISO)では、サーキュラー・エコノミーマネジメントに関する国際標準規格の策定が検討されている』と日刊工業新聞が伝えている。