Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

恫喝からの決別 新たな年に期待する「和み」

 

 米国の新たな大統領の就任式が1月20日に行われる。それに先立って今日1月6日には、連邦議会の上下両院合同会議で大統領選の結果が正式に承認されるという。

 この機にも及んでも敗北を認めない人がいる。トランプ氏が「副大統領は不正に選ばれた選挙人を拒否する権利がある」とTwitterに投稿したとJIJI.COMが伝える。

トランプ氏は4日の選挙集会で「マイク・ペンスが私たちのためにやってくれると期待している。もしやってくれないなら、彼のことはあまり好きではない」と表明。最も忠実な側近として4年間仕えてきたペンス氏をたきつけた。 (出所:JIJI.COM)

 6日の合同会議では、ペンス副大統領は会議を取り仕切り、バイデン氏が次期大統領に決まったことを宣言する形式的な役割にすぎないとJIJI.COMは説明する。

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 恫喝、こんな人物が世界の大国を率いてきたかと思うとぞっとする。どれだけの悪影響があったのだろうか。知らず知らずのうちに「自分さえ良ければ」との風潮が定着することになったのだろうか。

 

 

 良心

 米国の国防長官経験者全10人が1月3日、大統領選は「終わった」との認識を、米ワシントン・ポストに公開書簡で示したという。

それでも、共和党員の一部はトランプ氏の側に立ち、議会で行われる選挙人団の投票の承認を覆そうと計画している。ただ、そうした取り組みもバイデン氏の勝利の確認を遅らせるだけに過ぎないとみられている。

国防長官経験者たちは書簡の中で大統領職の移行は、成功した権力移行の重要な部分を占めると指摘した。 (出所:CNN)

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 選ばれたリーダーに忠誠を果たすことは当たり前のことなのであろうが、その行動が極端で、常軌を逸するのであれば、それを正すことが真の忠誠ともいわれる。特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりするようになるとカルトと呼ぶそうだ。元国防長官たちの書簡は米国の良心なのだろうか。

 

覆轍 ビルドバックベター

 覆轍、先人の失敗は、後の人の戒めになるという。

 リーダーが変れば、前任者の失敗を正すことから始めるの常套なのだろう。バイデン次期大統領の閣僚人事は多様性に富むという。そして、就任初日には気候変動対策を取り決めたパリ協定に復帰するという。米国が国際協調路線に復帰するとみていいのだろうか。

www.jiji.com

 世界最悪のコロナの感染状況には変化はあるのだろうか。難しいかじ取りなのかもしれないが、光が見えるといいのかもしれない。

 

 

 協力、当然のように自己主張はするが、参加する他者に配慮し、共通の利害を形成して、他者とともに行なうということであろう。そこには必ず他者の存在がある。

 対立する互いの主張を譲り合うことを妥協という。

 極端な言い方になるかもしれないが、協力は妥協の産物ともいえるのかもしれない。

 意見を対立させるだけでは争いが起きる。それよりは、「和み」「調和」することを選んだ方が楽しくもあり、楽なことなのかもしれない。そんな良き協力の形が増えれば、いいのかもしれない。

 

 意見の違い 多様性という難しい問題

 「多様な社会と、他説を否定したい私達の矛盾がわからない」というシロクマの屑籠さんの記事が気になった。

 地上波で初じめて放送された映画『天気の子』の感想を様々な人がTwiiterに投稿すると、それに反応して1割程度の人が否定意見を述べるという。

 そして、シロクマの屑籠さんはこういう。

他人の意見や感想を否定し殲滅しようと振舞うことが当たり前の言説空間のなかで、多様性を重んじる社会なるものと、個別の個人やグループが他人の意見や感想を否定し殲滅しようと振舞うことの矛盾がどのような整合性を持っているのか、自分がよくわかっていないということに気づいてしまった。 
粗雑な類推をすれば、なんらかの大義名分を背負っている時、人は、他人の意見や感想を否定したり殲滅したりすることに正当性を獲得するのかもしれない。だから大人はその正当性を巡って争い、逆に言えば、正当性が浮かび上がってくるまでコンセンサスができあがらない(または政局と呼ぶに値するものが訪れない)のかもしれない。

(引用:シロクマの屑籠さんの「多様な社会と、他説を否定したい私達の矛盾がわからない」)

p-shirokuma.hatenadiary.com

 「わかる、わかる、その感覚」と思わず言葉にしてしまう。自分の中でも腑に落ちる解を探し求めているような気がする。

 多様性とは、実にセンシティブな、難しい問題なのかもしれない。

 

誰一人取り残さない

 SDGsアジェンダには「誰一人取り残さない」との記載がある。慈悲、慈愛の精神から生まれてきた言葉なのだろうか。慈愛とは、 下の者、弱い者にめぐみや心をかけ大切にすること。また、その心のことをいう。

 米国の新たなリーダーになるバイデン氏が新たな多様性のカタチを示してくれることを期待しているのかなと、 シロクマの屑籠さんの記事を読んでそんなことに気づく。 

 

 

 大正時代、あのアインシュタインが日本を訪れたときのこと、彼はこう言ったそうだ。

 日本人のすばらしさは、きちんとした躾や心のやさしさにある。日本人は、これまで知り合ったどの国のひとよりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控えめで、知的で、芸術好きで、思いやりがあって非常に感じがよい人たちです。

(引用:日本人の品格 P4~5)

 私たちの中にはそのDNAがあり、文化が継承されてきているのかもしれない。

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 ついつい目に付く関心を煽るようなニュースに心を乱され、そんなことが嫌悪な社会の雰囲気を作ることになっているのかもしれない。もしかしたら心ないリーダーたちの影響もあったのだろうか。

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉がある。「他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めよ」との意味だという。行動する前に少しばかり考える時間があるといいのかもしれない。内なる自分に気づきを求めてみてはどうであろうか。