Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

海外に買収された電機メーカのV字回復から学ぶこと

 

 東芝が2018年に中国家電大手の海信(ハイセンス)グループに売却したテレビ事業「レグザ」が、東芝時代を含めて初めて日本国内の販売シェアでトップに立ったといいます。

レグザ、初のTVシェア1位 東芝を離れ4年、赤字続きから「変身」:朝日新聞デジタル

  記事は、東芝が16年に手放した白物家電事業も中国の美的集団の傘下ですぐに黒字化し、順調に売り上げを伸ばし、赤字続きだった両事業がみごとに「変身」したと指摘します。

 経営権が中国に渡ってしまったのでしょうけれど、事業が赤字体質から脱却、元気さをとり戻したのなら、それはそれでいいことではないでしょうか。

シャープも

 電機大手のシャープもまた同様で、巨額の負債を抱え経営不振に喘ぎ、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入りました。日本の大手電機メーカーが外資に買収される初めてケースでした。その後、そのシャープもみごとにV字回復を果てしています。

シャープ再生 V字回復の決め手はこれだった:日経ビジネス電子版

シャープは経営が苦しかった時期に他社と不用意な契約を結び、経営の手足をさらに縛ってしまうミスを犯していた。重要なのは決裁金額の大小ではなく、決裁書の欠陥を見抜き、会社に損失をもたらす経営判断を避ける能力を幹部社員が身につけることだった。(出所:日経ビジネス

 鴻海から派遣された戴正呉社長は就任初日に、社長決裁の金額を1億円から300万円まに引き下げたそうです。これにより、無駄な出費を抑えつつ、シャープ内部のオペレーションを理解し、社員がどう考え、社内で実際にどんな動き方をしているのかを把握したうえで、正確な判断を下すことにつながったといいます。

 また、決裁の申請では担当者自身が、社長に直接説明するようにしたといいます。説明に論理性がなく納得できない場合は、決裁書を容赦なく突き返したそうです。

こうして担当者は社長への説明を上司任せにできなくなり、決裁書を真剣に作るようになった。担当者レベルの責任感がとても強くなり、そして半年もすると、私も社員もお互いにペースがつかめるようになった。私が担当者の顔と名前を覚えたという副次効果もあった。(出所:日経ビジネス

 社長がどう決裁するかを社員に身をもって示したそうです。また、稟議書のハンコの数を減らし、決裁権限の与え方などを明確に規定する改革を進めていったといいます。ハンコの数が減ることで決裁にかかる時間は短縮され、経営スピードが上がり、担当者の責任感も強くさせようとしたといいます。

  経営に行き詰まるのは、ルールが形骸化したりして悪習が身についたときなのかもしれません。こうした事例は、企業再建を成し遂げた経営者たちによって書かれた書籍でよく指摘されています。

構造改革とは

「正誠勤儉(正しい心で誠実・勤勉に、つつましやかに経営に当たる)」、戴氏の最初の就職先である大同の経営理念だそうです。

 鴻海に移っても、この理念を信じる戴氏は、会社が自分のために用意する豪華な社宅を望まなかったそうです。

 債務超過東証2部に降格した会社の経営をあずかる人間として、1円でも節約したいとし、社長が率先して節約を実行することで、徹底的な構造改革を実施し、業績を早期に黒字化させる決意を社内外に示すという意味もあったそうです。

 また、黒字転換しない限り、社長としての報酬を受け取らないと宣言し、交際費も会社には一切申請せず、出張では新幹線のグリーン車は使わず普通車に乗ったといいます。あくまでも出張は会社の資金を使った公務ということを示す意図もあったそうです。 

「山は高きに在らず、仙有らば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有らば則ち霊あり。斯(ここ)は是れ陋室(ろうしつ)にて、惟だ吾が徳のみ馨(かんば)し(中略)。孔子云う、『何の陋(いや)しきことかこれ有らん』と」(出所:日経ビジネス

 これは戴氏が好きな唐詩「陋室の銘」で、どんなに狭くて粗末な部屋に住んでいても、自らが徳を高尚にしていれば恥じることはない、といった矜持を詠じているそうです。

  こうして構造改革に成功しても、アナリストの多くは「成長戦略が見えない」と指摘するそうです。期待の現れなのかもしれませんが、それが次の悪循環を生むのかもしれません。

日本の衰退

 コロナ渦が通り過ぎようとしています。この間、色々なことがありました。心を揺さぶられることも多くありました。心構えを一定に保つことの難しさを改めて知りました。振り返ってみれば、多くの問題指摘がありましたが、改善は進まず、日本の衰退が現実化したときでもあったかのようにも感じます。

 現状の改善に努め、身の丈以上に浪費せず、健全であろうとすれば、このようなことにならずに済んだように思います。企業経営なら、時に外部の力を使うこともできるのでしょうが、国となるとそうはいかないのかもしれません。

 内部の強いつながりからは変えようとする力は往々にして生まれず、つながりの弱い外部の力に頼ることがあってもよさそうです。時にそれが国際的な標準な考え方だったりするのでしょう。