Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

成果を出す人、出せない人、成長する企業、しない企業

 

 混沌さが増すばかりの世界、課題解決が進まない日本。一向に好転する兆しすら見えません。

 一方、国民や企業への負担が増すばかりのようです。国政によって問題が解決されないのであれば、企業に頑張ってもらうしかないのでしょうが、その企業ですらかつてのような勢いはなくなり、低迷を続ける企業の方が増えているのではないかと危惧します。

 企業、「会社」とは何なのだろうかと思い、改めて「仕事とは」考えてしまいます。

 人が集まって、お客さまに有益なモノやサービスを提供し、その対価を頂戴するのが会社であって、まっとうに仕事ができていれば、何らかの社会貢献が為されていくのでしょう。

 そうであったから今まで世界は発展を遂げることができたのでしょうし、今なお、それは変わることはないのでしょう。

 ただ日本だけがその仲間から脱落し始めているのかもしれません。本分を忘れて、経営の枝葉ばかりに目がいって、やたらテクニカルにはなったが、結果は出なくなったということのように思えます。どうすれば、本分に回帰することができるのでしょうか。

山口周さんと「会社って何だ?」を話したら。 - ほぼ日刊イトイ新聞

 糸井重里さんと山口周さんが対談し、会社における無駄とか遊びの話をしています。

「ムダ」は取り除くべきと主張したい立場からすれば、矛盾が起こりますが、共感できる話です。しかし、それもまた言葉の綾のような気もします。

 エンジニアであった自分自身の経験則からいえば、プロジェクトにかかわる仕事は年間で50%前後で、残りは突発的に起こる問題に対処し解決したり、そうした問題をネタにある程度自由に研究開発したり勉強したり、不平不満を聞いては効率化、生産性向上に関わる仕事をしたりしていました。年齢を重ねるごとに内容、その質の変化はありましたが。

 直接売上に寄与する仕事はプロジェクトに関わることで、それ以外はある意味ではムダといってもいいのかもしれません。プロジェクトの仕事もやりがいはあることなのですが、それ以外の仕事の方は楽しいし、重要なことに思うこともあります。

 そうした一見無駄なような時間から生み出されたものが、プロジェクトに活かされたり、縁の下の力持ちのような働きをしたりになったりすることもありました。こうしたことをひとりで考えて編み出すこともありましたが、その多くの場合、他の部署や取引先からの提案であることの方が多かったような気がします。

 その時はまだ、こうしたことが許されていて、それが今日の会社との違いだったりするのでしょうか。

 自分が携わっていたその事業は大きく成長し、やがて世界シェアでトップを争うようになりました。今にして思えばいい経験をさせてもらいました。

新しいアイデアを生めない、新しい工程を作れない、新しい事業に対する効率性を確保できない社員は、容赦なく置いていかれてしまう厳しさがあったからだ。(出所:日経ビジネス

 これがアマゾンの文化だそうです。自分の経験した職場にそこまでの厳しさがあったのかというとそうでもないような気がしますが、常にこうしたことに挑戦する人間が多く職場にいたような気がしますし、そうした人間が評価されていたようにも思います。

 そういう人たちを見ていると、何のためにそんなに頑張れるのかと思うくらいでしたが、その仕事の成果が自分以外の誰かのためになることを知っていたように思えますし、現実にそうであってからこそ、会社としても成果を残せたのかもしれません。

 

「参考文書」

アマゾンジャパン前社長が語る、「リスキリング失敗」の理由:日経ビジネス電子版