Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

【倫理って何だろう】ペットボトル問題とあるライターの惑い

 

 2021年の世界の報道自由度ランキングが、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」から発表された。

 日本は昨年から1つ順位を落とし67位。政府の姿勢や記者クラブの制度、慣習や経済的利益によって記者が権力監視機関としての役割を十分に果たしていないと指摘する。

rsf.org

 報道機関がもう少し反応するのかと思えども、意外にもあっさりとした報道が多い。なかなか自らその問題の核心を突き、意見することが難しいのかもしれない。逆に言えば、それが今の順位ということなのだろうか。

 

 

 そんなことの現れというほどのことではないかもしれないが、「みんなが絶賛するポカリCM、友だち失う覚悟で批判した塩谷舞さんの思い」というGLOBE+の記事がバズっているという。

 取材に応じた本人の意思とは少し異なった「タイトル」が反響を呼んだのかもしれない。

 バズれば、記事としては商業的な成功なのかもしれないが、それで取材に応じた本人のメッセージを伝えることが出来たのだろうか。

globe.asahi.com

 

 GLOBE+の記事ができる前に「ポカリスエットの少女たちが、大人になる頃」という塩谷さんのnoteを読まさせていただいた。

note.com

「.....水平リサイクルが比較的しやすいペットボトルは、プラ容器の中でも比較的「マシ」な分類に入るのかもしれない」とか、

ポカリには粉末があり、緑茶や紅茶には茶葉がある。

目新しいことばかりがニュースになるけれど、前からあって、合理的で、環境負荷が低いのであれば、それを大きな声で「よくね?」と言いたい。 

(引用:「ポカリスエットの少女たちが、大人になる頃」塩谷舞さんのnote) 

 そうした言葉の表現が何かの拍子にトリガーになったりするのだろうか。

 noteを読んだ率直の感想は、彼女の指摘があったかもしれないが、なぜ大塚製薬やクリエイターたちはインパクトのある美しい映像にこだわるのだろうかと。

 


www.youtube.com

 一度成功してしまうと、次はそれを凌駕した作品を作りたいとの衝動に駆られるのだろうか。そうしたことや社会からの期待を自分たちの役割と定義し、それをやり続けてしまうことになってしまうのだろうか。

 そんなことを考えると、彼女の指摘もリーズナブルなことのように思えて、一石を投じることになればと思ったりしながら読んでいた。 

 ただGLOBE+の記事が思いもよらずにバズり様々な反応があると、気持ちが揺れ動いたりするのだろうか。

note.com

……挙げられる理由は色々あるんだけども、ここ数年の自分は極端に良い人、というか「倫理的な人」みたいな顔をしすぎていた気がするのだ。べつに、倫理を代表している訳でもなのに。
しかし如何せん中身が100%の善人ではないので、その不一致にむず痒くなってしまう。出している言葉に嘘はないが、全部ではない。

(引用:「配慮に配慮を加えて煮込んだ甘口カレー」塩谷舞さんのnote) 

 悩み、もがいた挙句に配慮が生まれ、そこからさらに配慮を加えたら「倫理」に近づいたと読めてしまった。「倫理」とか「エシカル」の実践とは、そんな風に自分以外の他者や環境に配慮することではなかろうか。それは自分の心に「善」を萌芽させることなのかもしれない。

 塩谷さんは自分が100%善人ではないという。しかし、この世に最初から100%善人なんているのだろうか。色々な「迷い」や「惑い」も、そこにから生じたりするのだろうか。何か気づきがあれば、違った景色も見えるのかもしれない。

 三十にして立ち、四十にして惑えず、五十にして天命を知ると古語がある。惑えるからこそ、自分の本分に気づき、天命を知り、そこから独創性が生まれたりするのではなかろうか。 

 

 

 塩谷さんがnoteで主張したポカリスエットのことも、個人的には総論賛成各論反対で、事細かなところでは意見の違いはありそうだ。ただそんなことで対立するよりは、プラごみが減ればいいことだし、そこから考えれば、塩谷さんの意見ももっともなことだ。何も目くじらを立てるほどのことでもない。それに共感する人がいれば、もしかしたら、またひとつプラごみが減るのかもしれない。それよりはクリエイターたちに疑問を投げかけることに共感し意義を感じたりした。

 ジャーナリストではないから、その本分は異なるのかもしれないが、ある意味での「権力」としての企業に対し、監視機関とは言わないでも、意見をぶつけることに清々しいも感じたりもした。

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 大塚グループが掲げる環境の取り組み重要項目も、結局出来ていないから、それが目標になっているのだろう。そうであれば、こうした声や反応を真摯に耳を傾け、対応していくべきなのだろう。会社の顔である広報、広告の対応が鋭く問われているような気がする。