Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

普遍的な正義なんて存在しない

 

 吉本騒動が否応なしに目に入ってきて、様々な人が様々なことを言っている...

情報ばかり溢れていて、何が本当のことなんだろうかと考えてしまいます。

 

 なんか、胡散臭い

 

正義って何だろうかと、また、考えてしまいました。

 

100人の人間が集まれば、100通りの正義が存在する。

万人に共通な正義を求めれば、法律的な正義になるけれど、

時として人としての心が抜け落ちてしまうことも

結局は、状況をみて自分自身で善悪を判断して、ひとつの正義を選択する

 

 

 目を引いたのは塩谷舞さんのNote (以下引用です)

「正義感」というのは素晴らしいものでありながらも、盲目的な側面も持ってしまう。悪いことをしよう……というときよりも「良いことをしよう」という時のほうが、人は自分を強く感じてしまうし、周囲を説得しようとするからです。

信じてきた正義が違うというのは、そうそう簡単に覆せるものではありません。20代と40代、大阪と東京、日本とアメリカ、男と女とその間にある様々なグラデーションの中で、人はコミュニティを作り、その中の正義を学んでいきます。

 

 究極的には、

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」

https://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013.html より

「自分が正義だと思って突き通していることも、立場を変えれば、誰かに生涯恨まれるようなことなのでは?」と気づかせてくれます。

note.mu

 

  行き詰まると、思い出すのは、マイケル・サンデル教授の「これからの正義の話をしよう」に出てくる道徳的ジレンマ。

 

「暴走する路面電車を止めるために、一人を犠牲にして五人を救うのは正しいか」

 

「貧しい人間を助けるためならビルゲイツやマイケルジョーダンなどの大金持ちへ課税することは許されるか」

 

 人の持つ思想の根底には、功利主義リバタリアニズムリベラリズムコミュニタリアニズムなどがあって、どこかで意見の違いがあるもの。

 

十人十色

 

 気がつかないうちに、良し悪しを、自分のもつ思想に近いところかで選択したりしています。

 

 SNSでの活発な議論はよいかと思いますが、無用な論争は避けたいです。『サンデル教授の対話術』を参考するのも良いかもしれませんね。 

サンデル教授の対話術 ( )

サンデル教授の対話術 ( )

 

 

 

 

 

 

 

#ケンカはしないです で思い出したこと

弁護士中坊公平さんの #ケンカのコツ  『レスリング論』

遺恨を残さないことが何よりです。

「最後まで相手をねじ伏せて背中を地面につけさせる完全な勝ち方をすると、レスリングではいいけど、人間同士では、必ず何らかの遺恨を残す。それよりも相手の負けが見えたら、押し倒すとみせて、フッと前に引くんや。するとそれまで押されっぱなしで堪えていた相手は反動で前につんのめって倒れる。前につんのめると両手でかばうので、相手も屈辱感が少ない。恨みも最小限に押しとどめられる。でも、勝ちは勝ちや。」

中坊公平の闘い 藤井良広著)

 

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中坊公平の闘い 決定版〈下〉 (日経ビジネス人文庫)
 
中坊公平の闘い 決定版〈上〉 (日経ビジネス人文庫)
 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。