石田禮助という人がいた。三井物産で代表取締役まで昇りつめ引退、その後、JRの前身国鉄の第5代総裁を勤めた人だ。彼の生涯を作家城山三郎さんが「祖にして野だが卑ではない」に描いている。
石田は、戦前、大連では大豆で、ニューヨークには、錫の取引で成功を収めている。
「いったいこんなに金儲けの仕事ばかりしていて、自分が死んだあとどうなるのか、あるいは地獄生きかもしれぬなどと、ときどき考えたね」日本の人口問題・食糧問題解決のためには外貨がいる。そのための金儲けだと、自らを慰めもしたが、と石田の言葉として城山は書いている。
そんな石田が国鉄総裁を受けるときに、「私の信念は何をするにも神がついていなければならぬということだ。それには正義の精神が必要だと思う。こんどもきっと神様がついてくれる。そういう信念で欲得なくサービス・アンド・サクリファイスでやるつもりだ。」商売に徹した生きた後は、「パブリック・サービス」。世の中のために尽す。
戦前戦後の貧しい時代は企業が率先して社会課題に挑み、引退した財界人が国鉄再建のような課題に取り組んでいた。
翻って現代はどうだろうか。長年の政府、企業の努力によってGDPは世界2位の地位にまで躍進したけれど、いつしか中国に追い越された。気がつくと、世界のパラダイムシフトにも取り残されていた。石田ら先人たちは志をもって社会課題に挑んでいたけど、その後の現代は社会課題だらけのような気がする。
そうした中、若者たちが社会課題に果敢に挑み始めている。農業ビジネスに挑戦するチームも現れてきた。彼らは、口を揃えて従来の農業のサプライチェーンの問題を指摘する。そして、それはJAの問題ではないともいう。その功績を認めつつ、JAが解決できていない問題にこそ社会課題のヒントがあると言っているようだ。
「JAが悪いわけではないんです。大規模流通からあふれた部分こそ、食べチョクの出番。どの業界でも、生産規模や需要、生産方針に応じて、適切な卸先を選べるのが当たり前ですが、農業ではJA以外に買取先の選択肢がないのがおかしい。それを変えていきたいんです」
そのために秋元がいま本気で目指しているのは「上場」だ。あくまで一つの通過点に過ぎないが、農業スタートアップとして上場できる規模になることで、少しずつ仕組みを変える力が蓄えられる。プレイヤーは多い方がいい。
「こうしている間にも、廃業を決める農家さんたちがたくさんいる。ゆっくりやっていてはダメだと痛感しています。あと5年くらいで上場できる規模にならなかったら、むしろ私たちの会社って存在している意味がないのではないかと。農業がビジネスとして注目されるためにも、より多くの農家の所得を上げるためにも、上場できる規模への急成長を目指します」(出所:Forbes)
先人石田の生涯を、彼女の姿の中に見るような気がする。
「農家のための急成長」、石田流に言えば金儲け。そして、サービス・アンド・サクリファイスとパブリック・サービスの精神
つい先頃までは尖がった技術が起業には不可欠のような雰囲気があった。あったことに越したことはないが、それもよりも今はソーシャルアクションにもつながるような疑問や思いが時代を変えていく力になるのではないであろうか。
瀧本哲史さんはかつて、小さなチームが日本中に生まれて、あちこちで小さな変化が起き、その積み重ねで、日本は変わっていくと言っていた。
そんな動きが始まった気がする。
最後までお読みいただきありがとうございます。