Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

プラスチックス汚染防止の「パリ協定」を目指して 国際条約の準備進む

 

 世界の脱プラの動きを見ていると少しばかり焦燥感も募ったりする。流れてくる海外のニュースはサーキュラー・エコノミーを推奨し、使い捨てプラスチックスを敵視し、何とかそれを廃絶する方策を模索する。

 英ガーディアン紙は引き続き、国連による、危機的状況にあるプラスチック汚染に取り組むための新しい条約制定に向けての準備状況を報道する。

 

www.theguardian.com

 

 それによると、海洋ごみとマイクロプラスチックスに関する国連のワーキンググループが先週バーチャルで開催され、この問題について話し合ったという。アフリカ、バルト海カリブ海、北欧、太平洋諸国、およびEUを含む国連加盟国の3分の2以上が、新しい協定のオプションを検討する用意があると宣言したという。しかし、米国と英国は、これまでのところ、参加を表明していないという。

 

 

 

プラ汚染防止 パリ協定のように法的拘束力を持つ条約制定を目指す 

 この検討されている条約は、地球温暖化防止対策のためのパリ協定に似ているという。世界的な取り組みになり、法的拘束力があるという。今までに制定されたバーゼル条約などでは、プラスチック汚染を管理する国際的な法的枠組みが断片化されており、効果がないと、その反省を活かす。

 現在の傾向がこのまま続けば、海洋へのプラスチックス流入は2040年までに3倍になると予想されているという。これは、世界の海岸線1メートルあたり50kgのプラが存在することを意味するそうだ。これまでに行われ発表されたすべてのプラスチック廃棄物を抑制するための努力だけでは、その量はわずか7%の削減にとどまるという。

 

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 記事には日本のことは書かれていない。昨年、G20大阪サミットで、「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」を共有し、2050年までに海洋プラスチックごみによる追加的な汚染をゼロにまで削減することを目指すという世界的な合意をリードした、そんな背景を鑑みれば、当然、この動きでもリーダーシップがあっても良さそうな気がする。不確かではあるが、太平洋諸国の中に含まれているのだろうと勝手に推測する。

 

 

 

あるデザイナーのパッケージは必要なのかという疑問

 1年以上前に書かれたnoteの記事を思い出す。グラフィックデザイナー/アートディレクターの荻原ゆか氏が書いたものだ。

 ドイツ ベルリンにある世界初の包装を使わないスーパーマーケット「Original Unverpackt」で買い物された経験からの気づきをもとに、デザイナー視点で書かれている。

そのパッケージが一切ない世界を目の当たりにして、本当にパッケージデザインは必要なのか?と頭の中がグルグルした

私もパッケージデザインを担当させていただくこともあるので、そもそも自分がつくったものが環境や誰かを傷つけているかもしれない、ということにもハッとする感覚を覚えた。

完全にグラフィックデザインの敗北を味わった気分になった。
同時にメッセージやコンセプトを伝えるときは仕組みから考え、形つくっていくこと自体がデザインであるというも得た。 

(引用:荻原ゆかさんのnote「包装ゼロのスーパー「Original Unverpackt」に行って感じたデザインの敗北と可能性」) 

 

note.com

 

”つくる”ということは「捨てる」も同時についてくる。今後「捨てる」までの設計を考えていくことがとても重要に思えた」 と、荻原氏はいう。

 今回、そもそも「捨てる」を出さない設計のスーパーに行き、コンセプトやメッセージを伝える手段として「仕組み」の部分から考えることもまたデザインという学びを得た

デザイナーは表面的な部分のみ考えるのではなく、仕組みの部分から見直しできることを考えていく必要がありそうだった。

(引用:荻原ゆかさんのnote「包装ゼロのスーパー「Original Unverpackt」に行って感じたデザインの敗北と可能性」) 

 

 「これから「つくる」者として、"人"や"社会"だけに目を向けるのではなく、"環境"などもう少し大きな枠組みで物事を考えられるようになりたいと思った」と、荻原氏は続けた。

 

 

 

 荻原氏のようなデザイナーが増えれば、いいのかもしれない。気づきがあれば、今までとは違った、新たな世界が目に映る。

 デザイナーが一番その商品のことをわかっているものだ。その商品がどのように作られ、お客さまにどのように届けられるか、そんなことを無意識下で想像していたりしている。そこに気づきがあれば、その想像したしくみ自体も創造できたりするのかもしれない。

 そうであるなら、より多くの気づきがあれば、もしかしたら、ごみのない世界だって実現するのかもしれない。

 人は何がきっかけで気づきを得るかはわからない。時として、気づいていることに気づかないことさえもあるものだ。それでは機会やチャンスを逃しているようなもの。

 新しい出会いやその風景を大切にすることが、気づきの機会になるのかもしれない。