国会衆議院で19日、「気候非常事態宣言」の決議を採択したという。地球温暖化対策に国を挙げて取り組む決意を示し、与野党が脱炭素というグローバルな課題に臨む姿勢で足並みをそろえると日本経済新聞は伝える。
温暖化の影響などで豪雨や山火事などの災害が相次ぐ。決議は「気候変動の枠を超えて気候危機の状況に立ち至っている」と記した。
脱炭素社会実現に向け「経済社会の再設計・取り組みを抜本的に強化し国を挙げて実践していく」と訴えた。 (出所:日本経済新聞)
与野党がビジョンを共有したことは意義あることなのだろう。エネルギー面では、原子力発電の要否も今後議論されることになるのだろうか。あげ足取りの議論ではなく、目標達成との見地から前向きな議論を期待したいし、みなが納得できる合意形成をお願いしたいと思う。
新たな原理原則
小泉環境相は国会決議を受け、「趣旨を十分に尊重し、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラルに向け取り組みを加速させる」と発言したという。
地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」は、世界の平均気温の上昇を産業革命以前に比べ1.5度以内に抑えることを目標に掲げ、各国が温暖化ガスの排出削減目標を設定する。まずはこうした国際的な枠組みへの協力が国としての第一義となるのだろうか。そうは言いつつ、その目的はあくまでも地球温暖化防止にある。このことは忘れてはならないし、何にもまして温暖化防止が何よりも優先されるべきことになるのだろう。
与野党が強調し決議した宣言にも、「一日も早い脱炭素社会の実現に向けて、経済社会の再設計・取り組みの抜本的強化を行う」との決意を示されたという。政府が示した「カーボンニュートラル」と合わせ、こうした気候変動対策がこれからの原理原則となり、新たに描かれる成長戦略もこうしたことを基本にしていくことになるのであろうか。
気候変動への「適応」という課題
一方で、気候変動に適応していくことも今後避けえないことになる。熊本県の川辺川ダムがその先例になるのかもしれない。
熊本県の蒲島郁夫知事は19日、球磨川の最大支流である川辺川への治水専用ダム建設を認める考えを表明したという。2008年に川辺川ダム計画の「白紙撤回」し、ダム以外の治水策を検討してきたが、豪雨災害を受けて方針転換したという。
蒲島知事は全員協議会で、「住民の命を守り、地域の宝である清流をも守る新たな流水型のダムを、国に求める」と表明。
「ダムか、非ダムかという二項対立を超えた決断が必要」とも述べた。 (出所:朝日新聞)
難しい問題である。そこには「道徳のジレンマ」が存在するように思う。トロッコ問題でいわれる、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」のような感覚を思い出す。自然や水没予定地となる五木村の生活を犠牲にして、下流域を守ることがよいことなのだろうかと。
いずれにせよ、国がカーボンニュートラルを宣言したところで、気候変動が収まり、異常気象が減少に転じるようなことはない。それよりはこの先益々異常気象による激甚災害のリスクは高まっているのだろう。改めて、そのリスクについて認識しておく必要があるのだろう。
カーボンニュートラルで気候変動の緩和を図りつつも、気候変動にいかに適応していくか、その対応も今後求められるようになるのであろう。
反省を活かす
振り返ってみれば、今までは自国第一主義の国の政策に服従し、国際社会から謗られ、国際協調に背を向けてきたように見える。何においても対立軸を作り、あたかも二項対立のような構図を作れば、ある意味、自分の正統性を主張するのには都合がよいことだったのかもしれないし、自分はよくやっているとの言い訳のネタになっていたのかもしれない。そんな風潮が社会に定着してしまえば、分断化を招きかねない、そういうことだったのかもしれない。
自国第一主義が後退し、国際協調路線に主流になり、みなが協力し問題解決するということを、社会が受け入れられるようになれば、様々な社会的な課題も解決方向に動き出すようになるのかもしれない。少しばかり過去を省みて、その反省を活かしていくべきなのだろう。そうすることで、もっと暮らしやすい環境が出来上がっていく。