Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

変化し続けるユニクロと真善美

 

 新年早々、様々なニュースが飛び交い始める。「ままならない」、そう感じたりしているのだろうか。

 リーダーたちの思惑に違いがあるのはごく当たり前のことなのだろう。それぞれが自分の思い描く未来に向かって行動していく。それでも、行きつく未来はひとつしかない。辿る経路が異れば、リーダーに従う人たちには迷惑な話だ。混乱としか映らない。もっと協力し合えばいいことなはずなのに、なぜか駆け引き、せめぎ合いになってしまう。

 

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 このコロナ災害にあっても、ユニクロが元気なようだ。新年になっても、ファーストリテイリングの柳井社長のインタビュー記事が多い。それだけ注目されているのだろう。

 日経MJのインタビュー記事は、ダイエー創業者の中内㓛さんに会ったときの話から始まり、野菜販売の失敗談へと進む。

 柳井氏は、なぜに中内氏に会いたかったのだろうか。記事での言及はないが、「流通革命」を起こした中内氏に興味を抱いていたのだろうかと、勝手に想像する。

 

流通革命と価格破壊

 その中内氏が率いたダイエー流通革命は「価格破壊」を引き起こしたといわれる。

 

 

 ダイエーWikipediaによれば、1957年に創業し、20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターやゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入したという。

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。

価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し、多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く 」「お客様のために」の方針で事業が進められてきた。 (出所:Wikipedia

 しかし、ダイエーはやがてバブルの崩壊とともに勢いを失い、イオンの傘下に入ることになる。

価格破壊 (角川文庫)

価格破壊 (角川文庫)

 

 

 城山三郎氏の著作「価格破壊」は、ダイエーとその創業者中内氏をモデルにして書かれた経済小説と言われる。低廉な価格で商品を提供するために、メーカに戦いを挑み、再販価格の縛りを壊していく。 

 

 

 

究極の普段着と美意識

 「究極の普段着を目指す」と柳井氏は日経MJとのインタビューでそう語る。ユニクロがアパレルの常識を破壊し始めているのかもしれない。

 その柳井氏が「美意識」と口にする。 

 「服に対する美意識や専門知識を持つ必要がある。全体のバランスや流行などを瞬時に分かる人材でなければならない。専門知識がなければ、ただの消耗品になってしまう。本当に良い製品には美意識がある。服だけでなく、あらゆる製品に共通している。米アップルのiPhoneが世界で支持されるのは、美意識があるからだ」 (出所:日本経済新聞

www.nikkei.com

 近ごろ柳井氏は「小売業と製造業、物流業、企画業と、あらゆる業種の境がなくなり、全ての産業が情報サービス業に変わったと感じている」と語ることが多くなったような気がする。日経MJとのインタビューでは、デジタル企業はリアルの小売業が欲しがっていると指摘、リアルとデジタルの融合を説く。

城山氏の「価格破壊」では、主人公の矢口は「全ての物は腐っていく」、「高速回転させなくてはならない」と語る。

 柳井氏の語り口の変化に少々戸惑うこともあるけれど、人はどこか常に新鮮さを求めているのかもしれない。

 

真善美について

 柳井氏の記事を読むと、「真善美」との言葉を思い出す。辞書を調べてみると、「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう」とある。また、ギリシャには「美にして善なるもの」との言葉もあるという。

 何やら、柳井氏が求めているのは「真善美」なのかなと思ったりする。

 

 

 社会には、普遍性を持ち変わらないもの、時代変遷に合わせ移り変わっていくものもあるのだろうか。

 一方で、人は変革をこの好まない一面をもっていると言われる。仕事においてはそうのかもしれない。自分の仕事が急激に変化していくことに抵抗感を覚えたりすることがあったりする。経済的安定や心理的安定を求めていることがその背景なのかもしれない。

 社会のしくみやシステムを変えようとするのであれば、その影響を受ける人たちがいないか、いるとすればそれはどういう人たちのなのか。そういうことを丹念に考察し、マイナス要素を先行して取り除いていくことも必要になるのだろう。

 このことは過小評価できないことなのだろう。好き嫌いは別として、人は意識していなくても、仕事に充足感を求めているのだから。そして、もっと根源的なところ、生理的、本能的には「安全」を希求するものである。

 身の安全にかかわることを論理や理屈で押し通せば、必ず反発が生じるのは、このためであろう。それだけ、人は複雑な生き物ということなのであろう。

 もう少し「真善美」について考えてみるのもいいのかもしれない。