Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

【良い批判と醜い非難】批判への反応のコツ 反応次第で変わるもの

 

 批判されると、つい反発したくなる。あからさまに弱点や欠点を指摘され、評価されることはあまりこころよくない。

「批判」とは、批評して判断すること。物事を判定・評価することを意味する言葉だが、今では、否定的な意味で用いられることが多いのだろうか。

 理非、可否を言いたて、あれこれと論ずる「あげつらう」ことも批判の一種とされる。世の中には多様な意見が存在する。理非のあり方は個々人によって差があるのかもしれない。その批判に感情移入し過ぎると、非難になるのだろうか。

「非難」とは、欠点やあやまちなどを責めとがめること。明らかに社会通念を逸脱した行為には非難があって然るべきなのだろうが、非難が過ぎればいらぬ対立が生まれたりする。一時の感情に任せて非難することは避けた方がよいのだろう。

 冷静になって考えてみれば、批判ほどありがたいものかもしれない。自分に不足にしているものを教えてくれているとも言えそうだ。それを真摯に受け止め正せば、そこから協力や調和が生まれ、不可能と思われたことも実現に向かったりするのかもしれない。批判を力に変えることが反応するときのコツなのかもしれない。

 

 

 大規模接種のシステム問題で様々な批判合戦が繰り広げられれているようだ。ジャーナリズムなのか、それとも政治の邪魔建てなのか、システムの欠陥なのか、それとも開発上当たり前なことなのか、等々様々。

 喧々諤々の議論で、問題点が明らかになれば、それは当事者にとっては有益なものであるはずだが、受け止めきれずに、非難で返せば、非難合戦になりかねない。

 まして政治家が「極めて悪質な妨害愉快犯」などと断じるのは如何なものかと感じる。個人的な怨恨なのかもしれないが、もう少し度量があっても良いのではないか。度量のなさは狭量につながる。狭量が過ぎれば偏屈になる。ものごとが良い方向にいくとは想像し難い。

 日経XTECHを非難せずに、朝日と毎日を非難したことで疑義が生じる。非難をする前に、民意でもあろうメディアの意見に耳を貸せば社会の雰囲気も変わるきっかけになったのかもしれない。

xtech.nikkei.com

 非難されなかった日経XTECHは「実在しない番号などで予約しても、実際に会場でワクチンを打てるのは自治体が配布した接種券を持参した人に限られる。このため予約サイトの構築において、認証・確認する情報を大幅に減らした可能性がある。ただ実在しない予約番号や同じ予約番号で何度も予約ができてしまう現在の状況は、空の予約でワクチンを無駄しかねない」と、シンプルに問題指摘した。

 いかなる事情があるにせよ、お粗末と感じる。

 擁護派はシステム開発にバグはつきものといい、居直ったりする。本来、他者の評価を素直に受け止め、直ぐに改善すればバグは減っていく。その不具合に対処できなければ、正確に告知、注意喚起するの当たり前のこと。反応の仕方の問題なのだろうか。

 こうしたことがメディアを利用して行われて何か不都合があるのだろうか。言われたから言い返すようでは子供の喧嘩になってしまう。シンプルに対応する、それだけで済んだことのように思われる。

 苦しい状況だからこそ遺恨を作らず、協力を求める、それが基本ではなかろうか。真に、法に触れるような行為であるならば、しかと対応すれば済むだけのことである。

 

 

「正義は街中(世論)にある。だから事実をもって世論に問う」。

「法は道具であって、それに正義の魂を入れるのも世論です」というのはジャーナリストの福島香織氏。香港の元弁護士で元立法委員の呉靄儀氏の言葉の「人民は法より優先されるべきだ。なぜなら、法とは人民に奉仕するものであって、人民が法に奉仕するものではないからだ」を引用し、ジャーナリズムもこの精神に近いという。 

一部の常識は、メディアを通じた大衆操作などによって大きく変動することがある。また、それが衆愚政治の原因となることもある。 (出所:Wikipedia

 普遍的な唯一無二の正義など存在しない。もしそれがあるなら、この世界に対立など存在しない。「正義」はあやふやということなのかもしれない。福島氏がいう通り「正義は世論」にあるということが真なのだろう。

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ジャーナリズムの中心的機能たる時事的な報道・論評活動には、現実的環境に生起した変化を一定の価値判断によって選択報道し、また、一定の問題意識と見解にたった論評を行うことを通じて、社会の神経組織としてと同時に、市民的自由ないし民主主義のための監視・警報装置としての役割が歴史的に負託されてきた。その限りにおいてジャーナリズムには公共性がある。 (出所:コトバンク

 今回問題となった朝日や毎日にどこまで、この精神があったか、その真意は不明である。誤解が生じないように報道することもメディアに求められているのだろう。

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「君子の徳は風。小人の徳は草。草これに風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す」という。

 為政者が君子であれば、民衆も草のようにその風にならうという教え。

「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」という言葉がある。メディアも商業主義に陥ることなく、君子のように振舞うべきということであろう。