東京オリンピック、連日のメダルラッシュに興奮したりします。そんな中、コロナが勢いを増しているようです。
全国での新規感染者数が7500人を超えたといいます。ワクチン効果で高齢者の感染者数が抑制されているのに反して、若年層の感染が爆発的に増加しているということなのでしょうか。
東京オリンピックとの因果が気になりますが、国は中止の可能性を否定したようです。どうなのでしょうか。もう少し丁寧な説明があっても良さそうな気もします。
気になる記事があります。
「モヤッとする翌日、東京オリンピック2020開会式が露呈したもの、僕たちはそれらを噛み締めて前を向いていかないといけない」
多少違和感を覚えつつも、これもまたこれで事実なのでしょう。
たぶん引っかかっているのは「共感」という言葉なのでしょう。それと多少敗者の弁のように聞こえてしまうことがあるのかもしれません。
大切な「コト」は、共感を生むコンセプト。
それさえあれば、観た人が勝手に検索して映像情報を探し、仲間にシェアし広がっていくのだ。
今や、世界は一つになろうとしている
コロナ禍、気候変動、格差社会、危機の時代が来ることを認識して、若者世代を中心に世界は再び一つになろうとしているのだ。一つにならないと、地球は世界は壊れてしまう、そのメッセージを日本が出す、最大のチャンスだった。
唯一の被爆国、戦争から立ち上がった平和外交の日本、温暖化で世界中で増え続ける洪水等の自然災害に立ち向かう日本、そしてコロナを人々の自粛行動で感染者と死者を最小限に抑えている日本、危機に立ち向かう日本として、世界が共感するメッセージはたくさんあったはず。 (引用: 安川新一郎さんnote)
理想はそうなのかもしれませんが、その通りに進まないのが現実であって、今のままでは、理想を強要すると心が折れる人ばかりになってしまうのではないかと危惧します。だからとて、長い物には巻かれろという気はないのですが。
それと、ここでいう「共感」に商業臭さを感じてしまいます(表現の問題だけのような気もしますが)。人はもっとシンプルなものにでも共感するのではないでしょうか。
「共感という病」と本があります。読んではいませんが、出版元がこの本をこう紹介しています。
「特に近年の日本社会では「共感」がいきすぎ、同調圧力が強くなりすぎている面もある」。「味方ではないと思った人に対して厳しすぎるのです」。
「絆」や「ワンチーム」「団結」の内部は、最高に気持ちが良くて恍惚すらできるものですが、よく見てみると、その中にいない人がたくさん存在していることに気が付きます。むしろ外側にいる人に対して排他的であることも珍しくありません。
「共感し合おう」「繋がっていこう」と言うと、なんとなく無条件に良いものである気がしますが、繋がっていくからこそ分断していくとも言えるわけです。(出所:かんき出版)
共感が分断を生むようであれば元も子もありません。それではみなの幸せが逃げてしまいます。
私は共感が全て悪いとは思っていませんし、そんなことを言うつもりも毛頭ありません。むしろ社会と世界を良くするために間違いなく重要な要素だと思うからこそ、共感が持つ負の面を理解し、自覚し、うまく付き合っていく必要があると思うのです。(出所:かんき出版)
「緊急事態宣言の効果が出ていない」とまた専門家が口にしています。これほど怖い言葉はありません。言葉悪く言えば、無政府状態になっているということなのでしょうか。それでは収まるものも収まらなくなってしまいそうです。
為政者のモラルが鋭く問われているのでしょう。それと同じように、私たち一人ひとりにも問われているのかもしれません。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。
「和」、なごやかとの意味で、協調とか調和を意味します。
「同」は同調の意味です。
君子は調和を優先し、むやみに同調したりはしない。つまらない人はたやすく同調するが、調和や協調を重んじないということでしょうか。
感情を揺さぶれることが多々あります。こういうときこそ、動じない心が必要なことなのかもしれません。
何事も泰平であることが一番です。
「参考文献」