Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

SDGs批判に感じる違和感、その本質を考えてみる

 

 SDGsも定着してきたのでしょうか。認識されないより認識されたほうが良いのでしょうし、認識されれば、認識されていないときよりは少し前進があるのではないかと思ったりします。

「何が本当のSDGs?」 ということについて、モヤモヤしてる人がいっぱいいるんじゃないか、そんなことが書かれた記事が目につくようになったように感じます。

高橋真樹さんに聞く、SDGsの限界とその向こう側(前編)

SDGsの認知度はすごく上がっています。それはいいことだけど、やっていることを見るとまだまだ日本社会では本質が理解されていないと感じることが多いと思いました。

ロゴマークがペタペタと貼り付けられて、ペットボトルのラベルを剥がしたから「SDGs商品です」と売られていたり、企業の宣伝のためにSDGsが使われてしまっているところもある。(出所:グリーンズ)

 そう感じる人も多いのでしょうか。

 認知度があがったときに避け得ない現実なのかもしれません。

 

 

Think Globally、 Act Locally

「地球規模の課題を考え、地域で行動しよう」、SDGs達成のための心得、原動力なんて言われていました。

 視点をどこに置くかでその行動も変わっていくのでしょうか。

 人それぞれに違った役割があるものです。それによって、SDGsのアプローチも異なることになるのでしょう。地域発で取り組む人、グローバルに取り組む人もいるのかもしれません。頭ごなしにこれは間違っているというのはどうなのだろうかと感じたりもします。

 この先、ずっと地球に人が快適に住み続ける環境を作っていくことが究極の目的なのですし、さしあたって2030年までにどこまでゴールに近づいているかということになるのでしょうか。

https://www.stockholmresilience.org/images/18.36c25848153d54bdba33ec9b/1465905797608/sdgs-food-azote.jpg

(資料出所:Stockholm Resilience Centre)

ゲームチェンジ、価値観の転換

 産業革命が起き、石炭利用によるエネルギー革命となり、社会構造が変革され、価値観が大きく変わることになったといいます。 蒸気機関が実用化されたことで動力源が刷新され、機械化が大幅に進むことになりました。

 その後も様々な発明があっては、パラダイムシフトが起きました。

 電気が実用化されたことで、照明がどの家庭にも普及し、様々な電化製品が登場し、生活が一気に便利になったといいます。それは今なお続いています。エネルギー源に石油が利用されるようなると自動車が登場し、モビリティとしての進化は続いています。通信では、電話や無線通信からインターネットとなり、通信がコンピュータと結びつき、スマホが登場し、あらゆるものがデジタル化されてきました。

 どれもあるときパッと花開いたわけでなく、試行錯誤を繰り返し、長い時間をかけ社会に浸透し、幾多のゲームチェンジを起こしては価値観が転換されてきたのでしょう。そして、これらの変革は今も続いています。

 SDGsも同じなのではないでしょうか。2030年に向け、試行錯誤を繰り返し、新たなモノが生まれては消え、消えてはまた新しいモノが生まれ、そのゴールに近づいていくことになるのでしょう。

 

 

ムダをなくし、ロスを減らす

 こうした変革の途上に今日の社会があり、また便利さを追求してきた結果、多くのムダやロスが顕在するようになりました。大量に廃棄されるごみやプラごみ、衣料品、食品ロスなどなど。

 ムダをなくし、ロスを減らし、廃棄物を資源化していくことが次のパラダイムシフトになるのではないでしょうか。効率化というと誤解される面もあるのかもしれませんが、そこから生み出される余裕と便益を何に活かすかが、SDGsにおいて、問われているように思います。ありがたいことに17の目標が設定されています。そこで活かすことができればいいのでしょう。

本質

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」といいます。過ぎたものは、足りないものと同様によくないという意味で、 不十分なのも困るが、過剰なものには弊害があり、物事にはほどよさ、「中庸」が大切であるとのことです。

「中庸」とは、どちらにも偏らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていることです。

 一か所に集めすぎれば、どこかで欠乏を起こすのが自然の摂理です。まだまだそういうことが多いのではないでしょうか。

 近ごろではESG投資が過熱気味といわれています。偏りが生じているといってもいいのでしょう。偏りが過ぎれば、どこかで不足が生じます。足元のエネルギー高騰はその現れなのでしょう。何事もバランスが大切なのでしょう。

 そして、何よりも大切なことは「忠恕」の心ではないでしょうか。

「忠恕」とは、自分の良心に誠実であること、また、他人に対しては思いやりが深いことをいいます。

「中庸」、「忠恕」を身につけることが求められていないでしょうか。これなくして、SDGsの完成はないのかもしれません。