Up Cycle Circular’s diary

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【資本主義と社会問題】解決は誰の手に委ねるのか、政府、投資家、企業

 

 気候変動や格差拡大、人口減少など様々な社会問題が生じています。こうした問題を解決するのは企業の責務、または義務なのでしょう。経済活動を企業が担い、それによって生じたひずみが「社会問題」であるのなら、それは企業によってしか、解決できないはずである、そう考えるのがご自然なことではないでしょうか。

政府の行動を待つのは災いの元だ。企業は間違いなく地球上で最も強力な組織である。企業だけが今日の環境問題を解決するために必要な規模のイノベーションを推進し、健全な生活の基盤となる雇用を創出することができる。(出所:日経ビジネス

 国が手を出すものだから、ややこしくなる、国が本来やるべきことに徹していればいいものの、妙になところで力を誇示しようとするから混乱するのかもしれません。

 

 

 国の役割が変っているのかもしれません。第2次世界大戦後しばらくの間、政府は強力な存在だったと、米ハーバード大学レベッカヘンダーソン教授が主張しているといいます。

レベッカ・ヘンダーソン教授「資本主義を再構築するには」:日経ビジネス電子版

 国家が頼りにされ、市場で合理的に競争し、公害等の外部性が適切に評価され、規制され、多くの人が市場に参加するために必要な技能を持てるようにするために、政府は機能していたといいます。また、中央集権的な計画経済が台頭し、それに飲み込まれるリスクに抗ってもきました。

 こうした大戦後の経験が社会的結束を生み出すことになっていったそうです。そして、市場経済は成功への道を歩み、それを謳歌し、今日に至ります。

民間企業による自由な利益追求が、統制のとれた社会の中にいる限り、それは莫大な価値を創造した。しかし、野放図にされた市場は、自然や社会を破壊する誘因を持つ。(出所:日経ビジネス

 よくよく気づけば、また同じことを繰り返しているかのように社会はひずみばかりになっています。それどころか、今度は政府は機能不全に陥り、ミルトン・フリードマン氏らによってもたらされたシカゴ学派の経済思想によって企業は強欲主義となったしまったようです。

「資本主義が我々にもたらすものは繁栄か、それとも脅威なのか?」、日経ビジネスが疑問を投げかけています。

ヘンダーソン教授「資本主義再構築、企業だからできる」:日経ビジネス電子版

 この時代にあっては、これまでの資本主義を見直すべきと、ヘンダーソン教授は主張します。

共有価値、すなわち私的利益と公的利益の同時創出へ向けた動きは、重要な最初のステップだ。(出所:日経ビジネス

 実際に「共有価値」を創造している事例はいくつもあるといいます。米ウォルマートははエネルギー使用量削減のためにトラックの設計を変更して、年間約10億ドルも節約していると指摘します。

 

 

 こうした事例ももっと拡大し、どの企業も「共有価値」を創出できるようになることが望ましいことのでしょう。そのために、投資家と政府の役割が重要になるといいます。

「気候変動のような破滅的なリスクを分散することはできない」。

 投資家においては、こうした問題が企業の長期的な収益に深刻なリスクをもたらすことが明らかになり、その解決を企業に要求しなければならず、こうしたことはESG投資において見られるようになっています。

 また、政府においては、温室効果ガスの排出量を規制したり、炭素に価格を設定すべきで、過去の公害問題がそうであったように、気候変動の問題を解決することはすべての企業の経済的利益に変わるといいます。

 こうした新しい成長のあり方を模索する動きはもう既に世界おいては始まっています。実際、フランス政府は19年、「使命を果たす会社」という新たな会社の形態を法で規定したそうです。

 

 

 菅前首相の元、カーボンニュートラルが宣言され、脱炭素社会に舵を切ったように見えました。また、「不妊治療の保険適用」などによって少子化対策も前進するのかと思いましたが、政権が変わるとどうにも足踏み状態になるようです。 

「幸せ」視点の少子化対策: 日本経済新聞

 少子化問題は社会を映す鏡、社会のゆがみが如実に現れただけとの意見があります。

 一方で、現首相は「新しい資本主義」を標榜しますが、何がやりたいのかがはっきりしません。政策はちはぐさを増し、いまだ宗教団体の問題は決着をみず、その対応は誠実さに欠け、それではますます社会のゆがみを助長するばかり、さらに社会問題を深刻化させかねません。もっと「質」の向上を求めるべきなのかもしれません。政府の為すべきことを真剣に問い直すことが求められていそうです。

 世の流れに逆らわず、独創性にこだわるあまりに独善的になっては意味をなしません。首相に学び直しが求められているのではないでしょうか。