Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

【徒労と浪費】シミュレーションできない少子化問題とその対策

 少子化、気になるテーマです。このまま少子化が進めば、国は衰退し、社会保障制度も維持できなくなるといわれます。有効な対策が実施されれば、将来不安は解消し、 もしかしたら出生率に変化が生まれるのかもしれません。単純なことのように思いますが、うまく対応できないのが現実のようです。

 国の少子化政策は不安解消どころではありません。具体化できず財源問題を抱えています。それに加えて、諸々のトラブル続きでさらに不安を助長させる始末です。

 現政権の問題解決能力に疑義が生じているはずなのに、それを正そうとする動きが、政治の場だけではなく、まだまだ盛り上がっていないように感じます。これでは将来不安という魔物はますます力をつけていくのかもしれません。

 

 

対策ではなく政策

少子化対策」ではなく「少子化政策」を進めてきた政治こそが問題と、社会福祉学者の桜井啓太氏が批判しています。 政策と化して、それが政争に巻き込まれるから、対策という本筋から外れていくのでしょうか。それとも国の説明不足で真意が世の中に伝わっていないのでしょうか。

「少子化政策」をしたのは誰か 「産んでもらおう」の前にすべきこと:朝日新聞デジタル

「どうしたら産んでもらえるか」という話が聞こえるばかりで、対策を打ち出す前に、権利や生活が踏みにじられてきた人々の声を聞くべきといいます。

 一理はありそうです。不十分な分析から最良な対策案を立案することはできないはずです。

積み上がる課題

 個人の選択と国の将来というまったく次元の異なるものが交わる先に少子化問題はある。人口増を目的として子どもを産もうと考える人はいないだろう。(出所:朝日新聞

少子化対策にざわつく心 「個人の選択」と「国の将来」が交わる先に [フォーラム]:朝日新聞デジタル

少子高齢化や人口減少に伴う政策を考えるとき、税や社会保障の負担増や、誰が利益を受けるのかという難題を避けることはできない」と記事は指摘し、「情緒的なすれ違いにお金の話までからむとなれば、なおさら心がざわつく」といいます。

 国の問題解決のアプローチに問題があるということでしょうか。

 

 

シミュレーションできない少子化という問題

「異次元の少子化対策」、解剖学者の養老孟司氏が「少子化はシミュレーション不可能な課題」と語り、批判しています。

「少子化は解決できる問題ではない」「一度国を“ご破算”にすればいい」 養老孟司が語る少子化問題(抜粋) | デイリー新潮

 現代社会では人間がシミュレーションすることができ、因果関係がはっきりしている課題はすべて解決方法を見いだしてきたといいます。しかし、少子化問題はシミュレーション不可能な課題と養老氏は指摘、それを「解決できる」と考えていることが間違いといいます。

このくらいの金をかければこのくらい子どもが増えるだろう、と必死にシミュレーションして、巨額の予算をつぎ込む政府や政治家がむしろかわいそうに思えてきます。(出所:デイリー新潮)

 また、子どもが減っているという事実について、その原因を言語化できるとの認識が間違っているともいいます。理由がよくわからないのに対策を考えることはむだということでしょうか。

 

 

人間というのは自分の「成果」を誇らずにはいられない生き物です。政治家は地元の選挙区に橋を造れば、その「業績」を有権者に誇るでしょう。ただ、別にその橋は政治家が造ったわけではない。誰かが材料を運んで建造してくれたわけです。(出所:デイリー新潮)

 わざわざ誇らなくても、相手の立場になって考え行動すれば、評価は自然とついてくるものなのでしょう。成果のためだけに働いているうちは立派なものは建つのかもしれません、世の中がよりよくなることはないということなのでしょう。

 政権与党は相変わらず暴走し、野党は次の総選挙を念頭にしてか、互いに罵り合っています。何をやっているのでしょうか、政治は誰のためにするものなのでしょうか。