今、迷い、悩んでいるの人への一助になれば...
自分自身に向き合う時間、人生でいちばん貴重な時間なのかもしれません。
絶望の淵に迷い込んでしまうと、何も見えずに、永久にそこから脱け出ることができないとの錯覚に陥ります。そこから脱け出ようと、もがき苦しんでも、自分以外の誰かが来て、助け出してはくれません。頼りになるのは自分自身だけです。
自分の中で、「あることに気づき」、理解できた瞬間から絶望という言葉は消え失せるのかもしれません。
人によって傷つき、人によって励まされるものだ。
今回のタイトルは解脱です。
自分の過去の苦しみを書くことで、他の誰かの気づきに繋がればと思います。
『ココロの棚卸し』で書いたことをベースにして、もう少し具体的に書こうと思います。
- 苦しみを綴る
- それでも、悶々とした日々は続く
- 負の連鎖 まだ不幸は続くのか?
- 転機、神さまは不思議なことを準備する
- 心を整理する時間を過ごす(自己省察)
- 予兆 Noteとの出会い
- ブログを再開する 心の整理が進む一瞬
- Noteを始める ひらめきの一瞬がやってくる
- 人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きに生きなければならない
- 父からの贈り物
- 今ここに生きる
- 最後に
苦しみを綴る
2014年、内なる思いを胸に会社に興して、5年間ほど続けてきましたが、精神的な限界を感じ、会社清算することにしました。順調に思えたスタートも、今に思えば幻想でした。2017年からの2年間は色々なことに耐えて耐えての時間でした。その間に精も魂も尽き、抜け殻に落ちていく日々でした。2018年夏からはほんとうに苦しい日々でした。束縛と迷い、そこから脱け出ようと決めて、もがき、苦しみました。
ほんとうの自分を見つけ出そうと、永遠の真理とは何かを考え、心の平安を求め、論語や自己啓発本を繰り返し読み、般若心経を聞き、意味を考え、写経する毎日でした。心の平安を得たかと思えば、翌日には苦しみやってくるとの連続です。まさに、輪廻、迷妄を間断なく繰り返していました。
輪廻:生あるものが迷妄に満ちて生死を絶え間なく繰り返すこと
迷妄:物事の道理に暗く、考えが誤っていること。それによる心の迷い。
この間に読んでいた本は、

- 作者: ジョン・キム
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2012/05/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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心を軽くする言葉 宇宙を味方の「か・が・み」の法則 (文庫ぎんが堂)
- 作者: 小林正観
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2015/05/10
- メディア: 文庫
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社会的な真実は複数あり、それが共存しているのが社会なのだ。
真実というものは極めて気まぐれで、胡散臭いものなのである。
(媚びない人生 ジョンキム著)
本は言葉できっかけを与えてくれているのですが、そのことに気づかずに、苦しみの日々が永遠に続くのではと思う日々の連続でした。考える力を失い、只々思いを巡らせていました。
静かな時間を持つ、瞑想する、単純なことに集中する
そんな時に、唯識という考え方に出会いました。
このような状況をから逃れ出る道はあるとすれば、私は、それは一人一人の人間が、その中に閉じ込められているこの“自分”という宇宙の中で、自分とは、他人とは、自然とは、宇宙とは、一体なにかと心の中で静かに問い直してみることであると思います。 (横山紘一)
そこで、瞑想を始めることにしました。瞑想が心を静めるにはよいと知っていましたが、 きちんと実践したことがありませんでした。
唯識の勧めもあり(唯識ではヨーガ)、いざやってみると、嫌なことがすぐに思い浮かび、集中することができませんでした。何度試みても、なかなかうまくいきません。
もう一度、瞑想にかかわる坐禅やマインドフルネスを学びなおし、まずは簡単なことに集中することからはじめました。色々と試しましたが、お風呂で体を洗う時、腕を洗いながら、そのことだけに集中した時、あっ、これだと感じました。
その感覚を得てからは、呼吸に集中する瞑想ができるようになり、静かな時間をもてるようになりました。無の境地、何も考えていない時間です。
堂々巡りの雑念を静め、失っていた考える力に養分を与え、思考が少しずつ動き始めていました。
助けを求める、アドバイスを受ける
どうにもできなくなり、完全に行き詰ったと感じていました。『もう、どうにでもなれ』と絶望の淵を彷徨っていました。きわめて危険な状態でした。
それでも、その時、自分の中に残っていた知恵を振り絞って、人に助けを求めようと思いました。
先細る売上に苦しみ、自分の財産を切り崩しながら、社員の給与を守っていましたが、ついに払えそうにないとの事態に陥りました。雇用を守る、公租公課はきちんと払うという社会的義務を全うしたいという自分に課した過大な要求が苦境を招いていました。
私が助けを求めたのは実の姉でした。
『聞いてもらい話がある。』(今の自分を理解して欲しいとの一念です)
『お金を貸してほしい。』(自分が飯を食うより、とにかく社員の給与を払いたかった)
『返す目処はあるんだ』(たしかにその時引き合いがあったが、返せる目処は希望的観測)
行き詰まったときにありがちな言動でしたが、この行動が次につながるきっかけとなり、結果的には正解でした。
姉は、話を聞き、理解し、一緒に悩んでくれました。
『お金は貸す、生活も支えるが、どうかその会社は終わりにして欲しい。それが条件。』
そして、アドバイスしてくれました(そのとき、それが貴重なこととは全く気づかず)
話を聞いてから、
「わかるよ、私もそうだった。でも、私はそういう人たちとの関係を断ってきた。」
「恩っていうけど、それお金でしょ。で、その人たち、他に何をやってくれたの?」
「何にもやっていないんだから、諦めてもらうしかない。そうでしょう。」
言っていることはわかるが。。。途中で投げ出すことにまだ未練もある。
でも、とにかく、目の前の苦しみからも脱け出したい。
選択しなければなりません、救いの手を差し伸べてくれる姉を前に、(つまらぬ)意地をはることはできませんでした。
そんな姉は、ある法人の創業者。そのことを後で知ることになったのですが。
それでも、悶々とした日々は続く
姉が生活を支えてくれたことが大きな助けでしたが、それでも、繰り返し繰り返し、悔しさがよみがえり、「何でなんだ。」「何でこうなってしまったんだ。」を繰り返し考える日々が続きました。身動きが取れない状態で、完全な引きこもりでした。
習慣を変えようと、部屋の模様替えをしたり、休止していたジョギングを再開したりもしました。明確な目標を持とうと、図書館に通いもしました。モチベーションを高めようと「やりたいことリスト」も作りました。
しかし、どれもこれも私を助けてはくれず、苦しみは続いていました。
ただ、取り入れた瞑想だけが、心休まる時間を与えてくれていました。
音楽を聴く part 1
とにかく、心を静めたかった。繰り返しよみがえる「何でなんだ。」「あいつさえ、いなければ。」という言葉から逃げたかった。
音楽がリラックスによいことが経験的にもわかっていたので、ラジオやCDを聞くようにしていました。良く聞いていたのは、レイチェルプラッテンのファイトソング、鬼束ちひろのSign、吉田拓郎のファイト。
心の状態がよく表れています。ぼぉーっとしながら歌詞の意味を考えていたりしていました。
読書を続ける
生活が苦しく、新しい本を買う余裕すらなかったので、手元にある本を再読しました。読んでいるときは内容に引き込まれるのですが、読み終えてしまうと、元に戻ってしまう状態が続いていました。「媚びない人生」、「心を軽くする言葉」、「論語」は何か予兆を与えてくれたのかもしれません。
論語は、2冊を同時に読み進めることにしていました。「桑原の論語」では、ひとつの文章を江戸期の荻生や仁斎、吉川幸次郎と多方面から解説していたので、何気なく確かめたくて、持っていたもう一冊の論語(加地伸行)同時に読み始めた。同じ文章でも、読み手によって解釈が大きく異なるということに気づく何か予兆みたいのを感じ取っていたのかもしれません。
YouTubeで般若心経を聴く
「too much demand.」そんな言葉をある人から投げかけられた。
そのときの文脈から考えれば、”度が過ぎ、過大なわがまま”とでも訳せるのか。
般若心経の「色即是空 空即是色」ということばに興味がわいたのは、そんな出来事があったかもしれない。
なぜか、この言葉が思い出され、般若心経に引き込まれていきました。苦しいときの神頼みではありませんが、答えの何かを求めて、YouTubeでひたすらに聞いていました。
物質的なもの(色)はそのまま実体性をもたず(空)、また実体性をもたないままでしかも物質的なものとして存在するという意味で、これに続いて感受作用、表象、認識などを形成する力、認識器官についても同様のことが述べられる。人間を取り巻く世界と人間、考えられうるすべての存在者は、人間が想定しがちな不変で固定的な固有の性質をもって存在するのではない、換言すると空であり、しかも空でありながらいろいろの原因条件によって現象しつつある、という般若経典の基本である空の思想を表現したもの。前半は、あらゆるものを空とみることによって人間の煩悩や妄想を取り除くことをねらい、否定的であり、後半は、執着のない目でみたとき、あらゆるものがそれぞれの働きをもって生き生きと現象し存在していることを肯定的に表している。 (出所:コトバンク)
永平寺の般若心経に始まり、意味を知りたくて、般若心経 現代語訳 、般若心経 サンスクリット原典全訳を流し、沈思黙考する時間でした。
シャーリプトラよ、苦しみとは 自分の思うがままにならないことをいいます。この世のいかなるものも永遠に存在し続けるものではなく、すべては移りゆき、化していくものです。
したがって いかなるものも、自分のものであるとか、自分の思い通りになるとか、そのようにみなしてはなりません。つまり 自分のものにしたい、自分の思い通りにしたいというような観念が滅びたときにはじめて、この世のあらゆる執着はとどめられ、煩悩の種子は滅び、煩悩の種子が滅するが故に誤った考えから脱し、ものごとの真相を見ることができるのです。
人は 常住不変なる実体を求め、いつまでも解決できない形而上学的な論争を行っているがためにそれぞれの見解に固執し、お互いに異なった執見を抱き結局は真理を見失っているのです。そうではなくて、個人的な執着や偏見にとらわれることなく、自己に固執する見解を打ち破って、心を浄め、わが身にひき比べ、自己を頼りとし、いまこの瞬間のうちに、真の人間の生きる道を求めるべきなのです。
極端で一方的な考えを排し、時代や場所や民族の差を超えて、いかなる時、いかなる所、いかなる人によっても実践されるべき、永遠の理法を求めるべきなのです。そして このような行為は、自分以外の存在と、相互に依存しあう関係において成立するものですから、自分以外のすべての生き物に対して慈悲の精神をもって実践すべきなのです。
慈悲とは 生類を慈しみ悲しみを共に分かち合うことです。(出所:Ayat-Origami)
繰り返し聞くうちに、何か光のようなが見えてきました。
「結局は、人と人とのつながりなんだよな」と。
負の連鎖 まだ不幸は続くのか?
相変わらず、引きこもりのような日々が続いていましたが、転機が訪れました。
姉から再三実家の近くに引越してこないかと誘われていました。費用面のことも一因でしたが、家族で支え合うのが一番ということでした。
この時も姉の言われるままでしたが、住む家を探そうとなり、内見のため、実家に帰ろうとしたその日、実家に向かう車の中で、父が倒れたと連絡がありました。
実家に帰ると、父が倒れたときのまま、キッチンで横たわっていました。急ぎ救急車を呼び、病院へ。倒れた原因は脳梗塞、緊急処置を施したものの、右半身に重度の麻痺が残り、また話すこと、食べることができなくなる可能性があるとのことで、そのまま入院、回復を待つことになりました。
父の看病、そして、死
父が入院したこともあり、姉から実家に戻って、父の看病を手伝って欲しいと懇願され、実家に引越しすることにしました。年老いた母を連れ、父の看病に向かう毎日が始まりました。それは、ほんとうに自分と向き合う時間の始まりでした。
父は1か月ほど入院生活を続けましたが、回復が見込めなかったことより、担当主治医から、胃ろうを施し入院を続けるか、胃ろうをせずに、別なところに転院するかの選択をお願いをされました。胃ろうをしないということは、すでに父は自分の力で食べる力を失っていたので、死を選択するということでした。
父は「もし倒れることがあっても、延命治療はしてくれるな。」と口癖のようにいっていました。どんな思いがあってのことはわかりません。
「家族に負担をかけたくない」、
「もう生ききった。十分だ、安らかに眠らせてほしい」
ただただ、想像するしかありません。私たち家族の選択は、そんな父の意志を尊重することでした。それは父の死を意味することであり、とてもつらい選択でした。
病院から福祉施設に転院、その福祉施設では病院と異なり、基本、水分補給も栄養補給を行いません。父が残された体力で、自分で食べる力を回復させられるか、それとも、体力が尽きるところまでということです。
福祉施設に転院してから2週間、家族の願いも虚しく、この3月末に父は永い眠りにつきました。
父との思い出探し、父の生きた人生を考える時間
父の死後、四十九日の法要までの時間は、父の遺品を整理しながら、もう話をしない父と向き合い語らい、心を整理する貴重な時間になりました。
父を知る多くの人たちが私に話しかけてくれました。その人たちから聞く話には、私が知らなかった父の姿がありました。
パーキンソン病を患い、不自由な体でありながらも、その病苦に屈せずに、倒れるその日まで行動していた父、義理と人情と語っていた父、家族のため、地域のために生きた父。そして、多くの人たちから愛されていた父がそこにいました。
そんな父と最後に話ができたのは、今年の正月。二人きりになったときに、
『みんな、お前のことを応援してくれるから、頑張れ。』と
私がおかれていた苦境を知ってかいたのかはわかりませんが。
転機、神さまは不思議なことを準備する
父が倒れ、実家に戻ったことで生活に変化が生まれました。反ば強制的に、思考も変えざるを得なくなりました。
今までの苦しみの代わりに、それよりも、もっとつらく、優先すべきことを考えなければならなくなった。
今まで、あれだけ自分を苦しめていたことが、まるで嘘のように、どこかに消え失せて、父のこと、家族のことを第一優先で行動している自分がそこにいました。
姉に助けを求めたとき、
「今まで親孝行をしていないことを後悔している。」
「こんなことになって、親孝行もできず、悔しい。」
こんなことを言った記憶があります。でも、それは本心で、
その言葉があってかないかは知りませんが、
「家族が一番、みんなが近くにいることが大事。」
と言われ、そして、今、現実的にそうなっている。
自分の願いのひとつが実現しているこに気づかず、父が倒れたことを悲しみ、不幸なことと捉えているだけでした。
心を整理する時間を過ごす(自己省察)
実家に戻ってから、生活のリズムを取り戻しました。毎日のごみ出し、父が倒れた日まで続けていた家庭菜園の手入れ、亡くなった後は、膨大な遺品の整理。
単純なことを毎日、同じ時間に繰り返すことで、引きこもり状態から脱却していました。
音楽を聴く、YouTubeにはまる
また、ひとつ願いが叶っていることに気づかずに、これから「どうしていくんだ」と悩み始めていました。「なんて不幸せな人生だ」と思いながら。
音楽を聴く part 2
安らぎを求めてか、音楽を聴き続けていました。ただ、心が少しずつ変化していたのか、聞く歌が変わりつつありました。YouTubeの画像を見ながら聞くことも変化の表れでした。
Rachel Platten - Fight Song (Official Music Video)、ファイト!吉田拓郎は聞かなくなり、新たに、
BENIの歌うたいのバラッド uta utai no ballad
あいみょん - マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
が加わっていました。鬼束ちひろ - Sign - YouTubeは相変わらず聴いていましたが。
人を観察する
強く意識はしていませんでしたが、YouTubeの画像を見ながら、そこに映る人物のことを考えていました。
きっとすごく努力し、苦労した末に、この笑顔をあるんだよなと。
スポーツ選手もそうだよな、伊藤美誠や大谷翔平なんかの笑顔って素敵だよな。
みんな輝いている、みんな、感謝っていうような。
スポーツ選手は、若いのにみんな、子どもたちのため、次の世代のためとかいうような。
SNSでも
FacebookやInstagramが少し重たく感じていたので、Twitterを眺めていました。
インフルエンサーの塩谷舞さん、最所あさみさんをフォローして、彼女らのTwitterを読みながら思いを巡らせていました。
若いのに、きちんと自分の意見として発信しているよな、
すごく努力しているんだろうな、考えているんだろうなと
予兆 Noteとの出会い
彼女らのTwitterで眺め、投稿されるNoteの記事も読んでいたりもしました。
最所さんの記事には批判的に、塩谷さんの記事には共感的に。
そこで、塩谷さんのNoteを一気に読みました。
そんなとき、塩谷さんのNoteの記事で、何か感じるものがありました。
記事内容にもググっと惹かれるものがありましたが、そのタイトルから何か行間を読んでいました。
「その机上の空論、東京以外でも実現しますか?」
ブログを再開する 心の整理が進む一瞬
塩谷さんのNoteを一気に読み、たぶんこの記事だったと思うんですが、
「そうだ、ブログを再開しよう」との気持ちが芽生えました。
「この子、私がやりたいと思ってきたことをやっているー」
との思いが頭の中を駆け巡り始めました。
いざブログを書こうとしても、さて、何を書くかとの壁にぶちあたりました。
そこで、書きたいことをリストアップして、タイトルだけ書いて、下書きに保存しました。この行動が実によかった。
心の整理が一気に進み始めた一瞬だったと思います。
カンブリア爆発のように、止まっていた思考が一斉に活動し始めました。
Noteを始める ひらめきの一瞬がやってくる
何か予兆を感じていたものの、まだ明確な考えにまとることができず、Noteでも始めようとの軽い気持ちで、アカウントを開設しました。
Noteとブログをどう棲み分けしようかと思いを巡らせながらも、兎に角、書くことからはじめました。これがほんとうによい行動になりました。
Noteの中に「お題」というページを見つけ、題材を提供してくれていました。これが運よく起点になり、心の整理を加速させてくれました。
「お題」はこんな感じです。
一気に何本か書き、ブログとNoteに記事を公開し始めました。
最初のNoteは、#推薦図書。今まで読んだ本をあれこれと考え、今の時代を考えて、3冊選び書いてみました。
そして、3作目がこちら。リー・アイアコッカの訃報を題材にして書いたものです。note.mu
この記事を書いているときに、結びつき始めていたシナプスが、一気に結合を起こし、
「あぁ~、そういうことだったんだ。」と
”ひらめき”の一瞬がやってきました。
今までに積み重ねてきた「経験」と「知識」が結合し、追い求めていた「永遠の真理」の謎が、真に理解できた一瞬でした。
人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きに生きなければならない
成長すればするほど、うまくいかなくなることも増えていきます。人生の浮き沈みを経験していない人など誰一人いないと思います。些細なことから、人生を左右する大きなことまで。
取り過ぎていていく時間上に、浮かび上がるいくつもの事象。
人はどう反応するのだろうか?
般若心経では、その事象に色はなく、空だとした。
色を付けているのは人、自分自身であると。
私はこうして失敗した (内省)
シンプルに書くのであれば、自分で失敗を引き寄せていた。これだけです。あることをきっかけに、失敗するという運命を自分で作っていました。
私の会社人生は私なりに順調でした。会社に入り、初めての海外出張を経験して、それ以来海外赴任を目標にしました。目標を立て3年後には、海外と日本との2拠点生活が始まり、3年間、日本だけの生活をすごしたのち、2000年に念願のシンガポールに赴任、6年弱、現地で過ごしました。
そこまでは楽しい会社人生でした。明確な目標を持たずとも、会社が大きく成長する段階にあったので、常に目の前に仕事の目標があり、その目標を達成すれば、事業も成長するとの繰り返しでした。仕事枠の拡大にもチャレンジ、結果を残し、充実した日々でした。しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
順調過ぎたゆえに、慢心や傲慢が芽生え、脇の甘さがあったのかもしれません。本人が気づかないところで、遠く離れた日本で、反感を買っていました。
そして、それは信用していたの先輩の裏切り(うその流布)という形に変えて現実化しました。
それまでに培ったきた社内での信用は失墜し、日本に帰任してからは、苦労の連続となってしまいました。現地スタッフの雇用を守りたいとの一心で、経営者とぶつかることになりました。何を言っても、焼け石に水、もう信用が瓦解しているのだから。考えてみれば、それも過大な要求、傲慢さの表れ。それでも、必死に打ち込む姿が評価され、少しづつ信用を回復してきた矢先、さらに悪いことに、ある事件に巻き込まれ、信用は完全に崩壊しました。
帰任してからの苦境を何とか乗り越えようと、必死に勉強、その知識を使って打開しようとしました。しかし、その方法を間違えていました。単なる知識の誤用です。
そうしている間、無意識のうちに傷つき、自分の心の中にある種子を蒔いてしまいました。この種が、長い時間をかけて静かに成長していました。 その種とは、ネガティブ、怒りや憎しみ、復讐心、恐怖や嫉妬などの否定的な感情です。
この感情を抱えたまま、2014年にベンチャーを創業しました。うまくいくはずがありません。結局、日本に帰任したときと同じ苦汁を味わい、完全に挫折、絶望の淵に追い込まれました。
ひらめいた瞬間、積極さを取り戻す
今思えば、随分遠回りをしていると思います。苦い経験ばかりで、一向に前に進んではいない。一体どこに向かっていたのだろうかとの疑問が浮かんできました。
ほんとうは何をやりたかったのか?
人は誰でも大なり小なり願望を持っていると思います。それが、明確なものか、漠然としたものかは別として。しかし、困難や挫折の渦中にあると、ついつい見失いがちになります。
自分はこんな失敗を望んでいたのだろうか?
やりたいことがあった。
何か間違いがあったから失敗しただけ。
まだまだ、たくさんやり残したことがある。
あきらめるのか?
いや、今度は失敗したときと違った方法を使ってチャレンジしていく。
もう、私は失敗の原因を知っているのだから、同じ失敗は繰り返さない。
私が成功しないはずはないんだよ。だって、上手くいきそうも無いことはみんな出し尽くしてしまったんだからね。私はしょっちゅう不思議に思うんだが、どうしてみんな失敗を繰り返さないのかな。これは駄目だということを出し尽くしてしまえば、当然上手くいく方法しか残らないじゃないか。
遠回りしたことで私が手にできたものは、こういう教訓という財産だけ。
父からの贈り物
もうひとつ手にした大きな財産、それは父が残してくれたもの。
父がたいへん苦労した人生を送ってきたことを全く知りませんした。高校に遅れて入学、上京後、母と結婚、母の実家の近くに住まいを構え、そこでの地域問題やご近所さまとのいざこざ、父の実家からのお金の無心など。
父の遺品を整理して出てきた手紙や契約書などの類からはじめて知りました。
父はこうした辛い経験を通して、義理と人情という知恵を育み、地域にとけ込み、つながりを作ろうとしていたんだ。そして、それは伝統文化の伝承という形で結実し(市の郷土芸能大会では父の名を冠した賞があります)、父の豊かな人間関係になっていたと。
『みんな、お前のことを応援してくれるから、頑張れ。』
それが父と交わした最後のことばでした。前後の文脈がなく、このことばだけ。
何を言わんとしたかはもう想像するしかありません。父が歩んできた道をこの言葉に託して私に残してくれたと思っています。
「人間はひとりでは生きてはいけぬ。
家族、他者への配慮とやさしさ、伝統を紡ぎ、人とのつながりを作る。」
父が悟り、身につけた人生を生き抜く知恵。自分も身につけることができれば、父と同じように生きていけるというもの。それこそが親孝行ではないのか。
父は晩年近隣の真言宗のお寺にも熱心にかかわっていました。住職からは父がいくつかの経を諳んじていたとお聞きしました。お経を唱えて、心を静かにしている父の姿が想像できます。そして、今、手元に残った経典の冒頭は般若心経。大師様(空海)も不思議なことをなさる。
お金やモノという目に見える財産はすべて失いましたが、お天道様は目に見えない大きな財産を用意してくれていたようです。
今ここに生きる
現代は不確実性の時代といわれます。テクノロジーが進歩し、価値が多様化し、色々な選択肢が増えています。しかし、一方で、これが正解、これで安心というものが少なく、端的に言えば、正解がなくなりました。
常に何かを選択することを求められ、迷い、悩むことも増えます。しかし、正解がないということは、すべて正解ということも意味します。
ここまで、私の体験を時系列に書いてきました。人はこんな風に、悩み、失敗するのだと参考にしていただければと思います。
このブログで言いたかったことは、自分を理解し、他者を理解することの大切さ。そして、気づき、確かめる行動があって、はじめて理解ができるということです。
仏教用語では理解、感ずくことを「悟り」といい、悟りを得て、迷いから抜け出ることを「解脱」といいます。
人生における成熟のひとつの目安は、自分ではコントロールできない要素の存在をいかに認めるかにある。 (茂木健一郎 ひらめき脳より)
とも、言われます。このことは、逆に、この世でコントロールできるのは、唯一自分自身だけであるということも意味します。
デカルトは、『我思う故に我あり』と説きました。
自分自身を理解するということは、知識が血肉化し、誰も真似することのできない自分らしさを手に入れた瞬間なのです。
人生、どんなめぐり合わせがあるのかわかりません。
過去を捨て去り、そして、今を生きる
ごく自然に、ありのままの自分で。
最後に
神社で思う疑問。
神社でお祈りしたことはあるでしょうか?
多くの神殿では、ご神鏡という鏡が設置されています。
お祈りをささげる自分を映す鏡。
お祈りは自分自身に祈っているの?
日本では古来より八百万の神々という信仰があります。自然のもの全てには神が宿っているという教えです。
自分自身も自然の一部、ならば、私自身にも神が宿っている。
そうであるならば、神社では、自分の内なる神に祈りをささげている。
だから、天は自ら助くる者を助ってくれるのかもしれませんね。