Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

苦境の老舗百貨店と好調な丸井 「丸井が目指すインクルーシブな豊かな社会とは」

 

 SDGsやESGのことを調べていると、必ずといっていいほどに「○❘○❘ 」丸井の名前が出てくる。斜め読みしては、なんとなく理解したつもりでいたけど、それだけでは見えないものもある。

 

 老舗百貨店が苦境に陥る中、丸井はとっても元気そうに見える。同じ小売りにあたって、その違いはどこから来るのだろうかと単純に疑問を抱いていた。

 WWD Japanは、丸井を「新しいビジネスモデルに挑戦する先進企業」とたとえる。

 丸井グループは、すべての人が取り残されることなく「しあわせ」を感じられる、インクルーシブで豊かな社会をめざし、2016年11月に「インクルージョン(包摂)」視点で4つの重点テーマを定めました。 (出所:丸井公式サイト)

 

 「インクルージョンには、これまで見過ごされてきたものを包含する・取り込むという意味があり、国連のSDGsの理念と同じ方向性を示すものです」と丸井は説明する。

 

www.0101maruigroup.co.jp

 

 そんな丸井も以前は長い間経営不振に喘いでいたという。そういえば、若かりし頃通った丸井もいつしか足が遠のくようになった。憧れだった赤いカードもいつしか時代遅れな陳腐なものと感じ解約した記憶が甦ってくる。そんな固まった「考え」がいつまでも残っていたような気がする。

 

 

 

絶体絶命

「06年上限金利の引き下げなどで金融・カード事業が大打撃を受け、絶体絶命。いつつぶれてもおかしくない、いつ競合から買収されてもおかしくない状態でした」(日本経済新聞

 その経営不振の中、改革を実行したのは、創業家3代目の青井浩社長。

 

ところが社内の雰囲気は『ヤング・ファッション・赤いカード』という1980年代の成功体験が忘れられず、これを変えたら丸井じゃなくなる、と変化に対する抵抗がすごく強かった。

過去の成功が会社のアイデンティティーになってしまっていたんです。 (出所:日本経済新聞) 

 

www.nikkei.com

 

売らない店、それが丸井

 そんな丸井は「売らない店」に変わった。

 調べてみて初めて知る丸井復活のストーリがあった。

 

会社の問題ではなく、一人ひとりの人生の問題なんだから、やりたいことを考えてみようと

丸井の歴史をひもといてみました。

もともと家具・家電の月賦販売の会社でしたが、暮らしが豊かになるのに合わせ、主力事業をヤングファッションに切り替え、それが大当たりして80年代の黄金期を迎えます。つまり丸井は最初から『ヤングの会社』だったわけではないんです。

お客様や時代に合わせて変わっていけるのが丸井なのです。 

(出所:日本経済新聞

 

「全員が丸井グループの社員だということを明確にしました。手紙で伝えたかったのは制度うんぬんより、社員一人ひとりの人生の問題だということです」。

働くってどういうことか、職場って我々にとって何なのか」。

「原点に立ち返って、変化していく力が丸井グループアイデンティティーなんだと粘り強く話をしました」と青井社長は日本経済新聞のインタビューに答える。

  

 

 

外部機関でも高評価、注目が集まる

 そうしたことの積み重ねが今日の丸井を作ったということであろうか。その丸井グループは今、ESG(環境、社会、ガバナンス)でも高い評価を得ていると WWD Japanはいう。

 ESGの格付けランキングとして知られる「ダウ・ジョーンズサステナビリティ・インデックス」でもスコア「96」と高得点をマークしているそうだ。

 そればかりでない。経済産業省東京証券取引所が共催する「デジタルトランスフォーメーション銘柄 2020」で、『DX注目企業』に選定されているといもいう。

 

 丸井に出店している取引先の店舗を訪ねに何度か丸井に足を運んだ。老舗百貨店とは違う雰囲気があったことを思い出す。

 

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苦境続く老舗百貨店

 他方、老舗百貨店はあまり業績が芳しくないようだ。コロナ渦の影響と囁かれる。

 時事通信は、徳島が山形に続いて、全国で2番目の百貨店空白県となったという。大手百貨店のそごう・西武が8月末、徳島店など4店舗の営業を一斉に終了したと伝える。福島市でも老舗・中合福島店が同日、146年の歴史に幕を下ろしたという。

「中心部のにぎわいが失われないか心配だ」と福島の男性の声を時事通信は紹介する。市場衰退が避けられない中、今後も各地で店じまいが続きそうだと指摘する。

 

www.jiji.com

 

 

 

  閉店から半年が経つ元新潟三越の社長は、

百貨店はマーケットの変化やお客様の変化に対し、常に新しい提案をするのが必要な業態なので、今回これがスタートと考えている

と新潟スマイルテレビのインタビューに答える。

  

1907年に小林呉服店として創業し、その名を変え営業を続けてきた新潟三越。ピーク時に250億円あった売り上げは近年半分ほどに落ち込み赤字が続いたため、今年3月、惜しまれながら閉店した。 (出所:新潟スマイルテレビ) 

 

www.nsttv.com

 

 「三越から伊勢丹へ」、経営資源を集中させるための「前向きな判断」から半年。しかし、今さらに状況を厳しくさせる困難が襲っていると新潟スマイルテレビは伝える。 

 

困難続きのなか“必要とされる百貨店”へ…

「一緒になってお客様の声を聴いて、生産者と話しをして新潟の良さを、特に新しい次世代の人を含めて育てていけたらいい」

百貨店は不要不急かもしれない」。

「ただお客様の人生を豊かにする、心を豊かにする。面白く、楽しく、ワクワクするというのをやらなければいけないのがこれからの百貨店。そこに対し精進し、しっかりとお客様の期待に応えたい」と、新潟スマイルテレビは、新潟伊勢丹に変わった社長の言葉を伝える。

 

常に新しい提案をするのが百貨店

 インバウンド狂乱。それが百貨店の良き文化まで狂わせてしまったのだろうか。そんな時代にあって、2016年に丸井が「インクルーシブで豊かな社会をめざして」と経営の舵を切ったことに先見性、卓越性があったということなのだろう。

 

 小手先の模様替えでは、今ここにある危機は乗り越えることができないのかもしれない。

 

 

 

 丸井の顔になったESG経営

 どのようにしてESG経営先進企業になったのか、そのきっかけをWWD Japanが丸井グループの関崎陽子サステナビリティ部長にインタビューする。

 

企業が注目すべき点・対応が求められる環境項目などの気づきとなり、グローバル基準を知るきっかけにもなります」。

 丸井は、ESG評価機関の格付け、GRI、ISO26000、SASB、IIRCなど内外のガイドラインSDGsなどを参考に社会課題を把握・整理したという。

毎年ESGデータブックとして開示する中で、環境項目についての不足点や開示を拡充する点がないかを考えるとき、こうした外部評価機関からの投げかけは大変貴重なものです。

また、実態の把握や今後の取り組みを検討するためには社内の連係が欠かせず、それにより、事業戦略にサステナビリティ戦略が組み込まれていくことにつながると考えています。 (出所:WWD Japan)

   

 こうした地道な活動があってこそ、国内消費が伸び悩む中でも、営業増益と快進撃を続けることにつながったのだろう。

 

従業員とともに働きがいを生み出す

――「経営危機を通して学んだことは何ですか」と日本経済新聞に尋ねられた青井社長は、「もし経営危機の7年間がなかったら、私は今ごろどうなっていたかな、きっと使い物にならなかったんじゃないかな、と時々思いますね」と振り返る。

ビジネスモデルが陳腐化しているのなら小手先の手段に頼るのではなく、もう一度、時代やお客様に向き合う。

自分たちの頭で原点から考えて作っていく。時間はかかりますが、それしかないのだと。 (出所:日本経済新聞

 

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 青井社長は、学生時代は「文学や哲学に傾倒」していたという。
「哲学というのは人間とは何か、時間とは何か、ふだん当たり前と考えられていることに目を向ける。背後にどんな構造があるのか考えることに昔から興味を覚えていた」。 実は経営も似ているといい、

日常的に見えている現象の深い構造や本質を見極めることで、ビジネスモデルが作れたりする

と語る青井社長の言葉を日本経済新聞が紹介する。

 とても印象的な言葉だ。

 

 インバウンド特需を狙って自社製品を売り込もうと銀座界隈を駆けずり回り、銀座松屋東急ハンズ銀座店に通っていたこともあった。運よく松屋やハンズで販売できることになり、販売の手伝いもしたりしていた。

 そんなときにあって、丸井は「売らないお店」への改革を着々と進めていたことを知ると少々恥かしくもなる。

 

 電機メーカに入社して1年目の販売実習で丸井横須賀店に通ったことがあった。なぜ丸井だったのかを今さらながら知る。そして、丸井がまた身近に感じられるようになった。

 

 「関連文書」 (↓↓↓ ISO26000の解説が少しあります)
dsupplying.hatenablog.com