常に変化は起きるものなのだろう。米国の大統領選ばかりでなく、国内にもそんな動きがある。NHKによれば、経団連が「業界再編も含めた電力産業の構造改革」が必要だとする提案をまとめ、9日に開かれる政府の経済財政諮問会議で表明する方針だというのだ。また、再生可能エネルギーを主力電源とする必要性も打ち出す方針だという。
ただ、太陽光や風力など再生可能エネルギーの導入には、天候によって発電量が大きく変動するため、送配電網の増強や大型の蓄電池の開発など巨額の投資が不可欠で、既存の電力会社の再編を含めた構造改革が必要だと提言することにしています。 (出所:NHK)
今までは何だったのかと思ってしまうが、こうした変化も世界の動きを見れば、ごく自然なことなのだろう。少しばかり遅いかなと印象はあるけれども。世界は思った以上のスピードで変化を続けているということなのだろう。
コロナ渦と自国第一主義の米国から学んだこと
一度変化が起きると望む望まないにかかわらず、もう後戻りすることはできなくなるということなのであろう。そのことをこのコロナ渦で思い知らされたような気がする。
古き良き時代を懐かしんで、それを擁護しようとすれば、内に籠ることになる。外界との交流を遮断し仮想の敵とすれば、内の結束は高まる。生じる不平不満を外界に向けさせれば、それで発散されるが分断が生じる。
外界では自然の流れに従って、新しいものが生まれ、変化することで少しばかり理想に近づいてく。内に籠る人々は取り残され停滞し、両者の溝は深まるばかりだ。内に籠るばかりで、外界を敵視したままであれば、外界の変化に気づけないものなのかもしれない。
そんなことを米国から学んでいるのかもしれない。米国を真似て何か特定の産業を保護する政策が軋轢になったり、成長機会の損失になっていたのだろう。
箍が外れれば、人はひとりでに前に進んでいくのかもしれない。その自ら外せる人もいるだろうし、誰か他の人がそっと外してあげなければならないときもあるのだろう。
箍とは古ぼけた常識や固定概念なのかもしれない。
自国第一主義の終焉 変化を選択したアメリカ
米大統領選で当選確実になったバイデン前副大統領は、脱炭素社会の実現に向け、大規模な投資を行う方針だと産経新聞が伝える。先日正式に離脱した「パリ協定」に、就任初日に復帰するという。自国第一主義からの決別、変化の象徴にでもなるのであろうか。
産経新聞によれば、バイデン氏は、太陽光や風力発電などのクリーンエネルギーを振興するため、4年で2兆ドル(約210兆円)の資金を投入するという。原油や天然ガスなど化石燃料関連の産業を重視していたトランプ政権から大きな転換となる。
日系自動車メーカーの米国市場戦略に関係しそうなのが、電気自動車(EV)などの環境対応車の支援策だ。連邦政府による調達を後押しするほか、EV充電施設を50万カ所設けるインフラ整備を急ぎ、米国市場のEV移行を促しそうだ。 (出所:産経新聞)
一方で、国内の製造業を手厚く保護する政策は維持となるようだ。4年で4千億ドルを投じて米国製品の調達促進策「バイ・アメリカン」を推し進めるという。トランプ政権の政策を転換せず維持ということであろうが、急激な変化を求めなかっただけのことなのかもしれない。微妙なところで変化を急いでも反発を助長しかねないとの判断があるのだろか。
無常なる世界とミニマリスト
ふと、鴨長明の方丈記を思い出す。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」。長明が書き起こした無常の世界とでもいうのであろう。
今までは、少しばかり「よどみ」にとどまっていただけのことなのかもしれない。様々な事象が泡の如く生じ滅する。その「よどみ」自体も常に一定ということはなく変化し、いつしかは川の本流に戻っていくということであろうか。
小さな流れもそれが多く集まれば集まるほどに大きな流れとなり大河となる。その流れに乗れば、いつしかゴールにたどり着くのだろう。
アメリカが国際社会に復帰することを喜びたいし、世界が一致して気候変動に立ち向かえばいい結果も生まれるのかもしれない。
鴨長明は鎌倉時代のミニマリストだったのかもしれない。政変や災禍が続いた時代になると身の回りを軽くしておきたいとの気が起きるのかもしれない。
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