Up Cycle Circular’s diary

未来はすべて次なる世代のためにある

人にやさしい社会へ 災厄をウェルビーイングへ

 

 年の瀬が迫ってくると、今年の重大ニュースに何があがるのだろうかと気になったりする。コロナに始まり、コロナに終わるということなのだろうけど、大小さまざまな変化があり、話題性あるニュースが盛りだくさんという感がする。

 今朝、テレビをつけたら、「認知症の第一人者が認知症になった」というNHKの番組が流れていた。終わりかけだったようだが、つい引き込まれた。同居する年老いた母が軽度の認知症ということもあるからだろうか、チャンネルを変えずに、見てしまった。

「君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する」とナレーションが流れる。

 番組に登場する認知症の老人は、認知症医療の第一人者である医師の長谷川和夫さん、その人が認知症になったという。「自分で自分自身を科学する」というテーマに興味をもっていることも影響したのだろうか、その言葉が引っかかった。

 

 

認知症

「自分で自分を科学する」、 ノーベル物理学賞に最も近い人と言われた戸塚洋二氏が癌に侵され、自分の癌を観察し続けた、その勇気と研究者魂が興味を持つきっかけだった。

 長谷川氏は自身の研究テーマである認知症に自分自身が侵され、その当事者になってしまう。その状況下におかれたとき、人は何を語るのだろうか。

認知症とは何か。それは、ひとつの救いだと長谷川さんは言う。

「余分なものは、はぎとられちゃっているわけだよね、認知症になると。(認知症は)よくできているよ。心配はあるけど、心配する気づきがないからさ。神様が用意してくれたひとつの救いだと。」 (出所:NHK

 認知症を一番良く知る人が、認知症となりわかる感覚ということなのだろうか。

 母もこんな感覚を持って生きているのかなと感じたりもする。

認知症になって見える景色はどんな景色か」―。

「変わらない、普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」 (出所:NHK

 そういうものなんだ。日々接する中でのわだかまりの理由が感覚的にわかったような気分になった。

www.nhk.or.jp

 番組の最後のシーンは、長谷川氏の妻瑞子さんがベートーヴェンの「悲愴」をピアノで弾き、その傍らで長谷川氏が聴いている。

しかし、途中で弾き間違えて止めてしまう。

(瑞子さん)「全然だめ、だめだわ。どこを弾いているか分からなくなってだめでした。」
(長谷川さん)「いいよ、いいよ。今よかったじゃないの。」
(瑞子さん)「だめなの。少し練習しておきましょう。本当の『悲愴』になるんだから。」 (出所:NHK

 二人の変わらない景色はこれからも続くと番組はいう。笑顔で、「本当の『悲愴』になるんだから」と話す瑞子さんの姿が印象的だった。自分の中でわき立った感情が何だかは整理できていない。少しだけ今の生活にだぶっただけなのかもしれない。

 

 

 パタゴニア

 ベートーヴェンの悲愴を流しながらニュースをチェックする。

「いつか訪れたい旅先25 2021年、再び旅立つ日を信じて」と題された記事は南米パタゴニアの氷河を映し出す。

 訪れたことのない地だ。行ってみたい土地のひとつなのかもしれない。

 パタゴニアホーン岬、自分の中では最果ての地というイメージがある。そこに横たわるいくつもの氷河。荘厳な風景を想像する。

巨大な氷の塊が雷鳴のような音を立てて崩壊するさまに圧倒されるだろう。アイゼンがあれば、滝やクレバス、氷の洞窟、地下を流れる川、目を見張るような氷の造形を楽しみながらハイキングし、グレーシャーブルーの氷を堪能することができる (出所:ナショナルジオグラフィック

natgeo.nikkeibp.co.jp

 氷河の末端で起こる崩壊、万年の時間が一瞬にして崩れ去っていく。悠久の時間、壊れていくもの、そして変わらないものもある、そんなことをイメージする。自然の力を思えば、人の力なんて無力に等しい。自然を畏れる瞬間なのかもしれない。

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ウェルビーイング

 英タイムズ紙が「ウェルビーイング」という言葉を使ったタイトルの記事を立て続けに発行する。コロナ渦や気候変動の影響とネガティブなニュースが多い中にあっては、「身体的、精神的、社会的に良好な状態」をあらわすウェルビーイングということばが注目されてもいいのかもしれない。

ウェルビーイング(well-being)とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉です。

1946年の世界保健機関(WHO)憲章の草案の中で、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会:訳)」 (出所:Wikipedia

www.thetimes.co.uk 

 

 

 気候変動対策が、カーボンニュートラル宣言になり、それが経済の成長戦略となった。コロナ対策も同様に経済の両立が叫ばれ続けて、今日という日を迎えている。

 この災厄の多い年を経験したことで、もっと人にやさしい社会に近づけていければいいのかもしれない。

 みんなの力で、「うつらない」「うつさない」という人にやさしい公衆衛生が確立した社会にすることができれば、経済も自然に再興していくのかもしれない。それは社会環境、気候変動についても同じことなのだろう。

 

「関連文書」

dsupplying.hatenablog.com