入社して3年も経てば中堅社員に呼ばれるようになる。そんな頃、上司が変わった。その上司は「○○とは」を問う人だった。
あるとき、その上司に呼ばれた。自分が書いた図面に指定した素材の件で質問を受けた。「何故この素材を選んだ?」から始まり色々問答を繰り返すうちに最後は「仕事とは?」になった。明確に答えることができなかった。
上司の勧めで「IE(=Industrial Engineering)研修」を受けることになった。今では一般化したトヨタの生産方式の元になった考え方を学ぶ研修だった。
「企業とは」から始まる短期集中でハードな研修だった。
「パーフェクトを求めるな、50点でいいからすぐやれ」
「良くしていくことに終わりはない、無限である」
ということを実習の中で学ばされる。
結局、「仕事」とは、今ある「仕事」をよりよくしてくことで他ならない。
毎日、同じことを繰り返すのでなく、身の回りの些細なことをよくして、日常業務を楽にできるようにすることから始まるといいのかもしれない。
日本経済新聞が「ペットボトル回収本格化」と伝える。
セブン&アイとサントリーで始まったペットボトルの回収について報じる。
海洋プラ問題にしろ、サーマルリサイクルの問題にしろ、原因は多岐にわたり、パーフェクトな解決策などない。こちらを立てれば、あちらが立たず、どこかを犠牲に生じる。
走りながら少しずつ良くしていかなければ、結局はゴールには近づかない。
ペットボトルは資源として回収されず、ごみと一緒に焼却処分されるケースも多い。焼却で発生する熱をエネルギーとして使う「サーマルリサイクル」にはつながっているが、経済協力開発機構(OECD)の基準ではリサイクルと認められない。ペットボトルや衣類などの形で再利用する「マテリアルリサイクル」を促している。
日本のプラスチックのリサイクル率は8割を超えるがそのうち約7割は「サーマル」が占める。(出所:日本経済新聞)
「マテリアルリサイクル」がゴールではないとの意見もあろうし、そもそもペットボトルがという意見もあるのだろう。その議論だけに終始していたら、いつまでも問題は解決されない。ペットボトルは流出し続けるし、燃やされるペットボトルの量は一向に減らない。
ペットボトルを使うことを拒む人が一人増えれば、その分の流通量が減り、燃やされるペットボトルが1本減る。セブン&アイが店頭でペットボトルを回収し、リサイクルに回れば、燃やされるペットボトルが減っていく。
コカ・コーラとセブン&アイが始めたペットボトルの回収は、かつてビンが使われていときに近いのかもしれない。ボトルそのものが使いまわしされることはないけれど、回収されるとお金が返却される。
問題を早く解決するためには、仲間を増やしていくしかない。問題解決に取り組む人、協力する人が増えれば、その分問題解決は加速する。
伝える人や情報が増えれば、今まで気づかなかった人たちも仲間に加わってくれるかもしれない。
セブン&アイ、コカ・コーラのペットボトル回収に協力する日本財団が「話題の作家・岸田奈美さんが描く、人と人の歩み寄りで生まれる優しい世界」という記事を投稿した。
岸田さん:「いい社会に変える」という視点に立った時、私と弟がいくら勇気を持って挑戦しても社会を変えるのは難しいと思うんです。コラムを読んだ受け止める側の人の意識が変わらないと社会を変えることはできないと思ったんですね。
じゃあ、「弟の行動で周囲の意識が変わって受け入れられたことって何だろう?」と考えたら、このコンビニでのエピソードが頭に思い浮かんだんです。(出所:日本財団)
弟の場合は一人でできないことが多いからこそ、「人に頼る」という行為が当たり前のようにできて、お礼の言葉を素直に言うことができます。
弟が小学生の時に母から教えられた「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」という3つの言葉を武器にして、カフェやレストラン、鉄道やバスなどで働いている人にペコッとお辞儀すると、お店の人が何かおまけしてくれたり、交通機関の人が乗り換えやすい場所や景色がきれいな座席を教えてくれたりします。
そんな風に弟がいることで周りの人が和んだり、優しくなれたりするということは、障害がある弟だからこそ発揮できる大きな価値なんじゃないかと思っています。(出所:日本財団)
人と人との「歩み寄り」、「寛容」とか「忠恕」ということであろうか。
経済が優先されがちな社会には、互いの「歩み寄り」が必要になのかなと感じたり。
組織内の誰にでもビジネスの成功に参画・貢献する機会があり、それぞれに特有の経験やスキル、考え方が認められ、活用されていることを「インクルージョン」(inclusion)と言います。(出所:コトバンク)
「関連文書」